こんにちは。宮前です。
前回の「立志の時間9」に続きます。
◆立志の時間9
http://www.caguya.co.jp/crewblog/miyamae/p8750/
前回は、「らしさ」を尊重し、持ち味を活かしたり認め合うことで、持続可能な社会が見えてくるのでは・・・とお伝えしたのですが、
この「らしさ」については、周りの「らしさ」は勿論のこと、「自分らしさ」を尊重することでさえ、けっこう難しいことに気付きます。
結局、私自身、就職活動を通して、自分の中の想いが育ち、覚悟が決まり、「志」へと変わっていったようなところがあったわけですが・・・
「志」というと、なんだか大げさで、時に恥ずかしさがあったり、馬鹿にされたりすることも。
でも、自分が持続可能な社会を求め「らしさを尊重し、認め合う社会」を願うなら、そんな自分自身の志に対しても「志を貫きたい」という生き方に対しても、一番身近な自分自身が「これが自分なんだ」と認め、尊重するのが自然な話。
「みんな違ってみんないい」を望むなら、自分らしさを世間のモノサシで諦めないよう、自分が自分の志を育て、守っていきたいし、誰かを応援することと同じように、自分のことも応援できたらと思うのです。
母は私のことが心配だったからか「はみ出さない子に育ってほしい」と思い、子育てをしていたそうで・・・
そんな影響もあってか、私も自分のことはずっと「普通の人」と思っていました。
でも今は、普通とは思っていません。
それは「自分はすごい」「自分だけが特別」などという意味ではなく、皆それぞれに特別な存在で、「普通なんてない」ということに気付いた感覚です。
初めての会社を退職する前のモヤモヤ期に、
「自分みたいな普通の人が、勇気を出して挑戦し、夢を実現できれば、ある意味、誰にだってできるという証明になるのでは?! 諦めなければ誰でもできるという希望になるのでは?!」
・・・と思ったことがありました。
今思うと、普通とか普通じゃないとか人と比較し、評価していたり、「夢」自体がどこか結果やカタチにとらわていたようにも感じますが・・・
実際には、比較や世間のモノサシで見ずに、自分に正直であること、自分を信じ自分らしさを守ること、そんな生き方をずっと大事にしたかったわけで、
それを尊重されている「今」があることや、人生をかけて取り組みたいと思える「志」に気付けたことは、ある意味、夢が叶っているような感覚で、私にとって本当に幸せなことだと感じています。
そんなわけで「幸せはいつも自分の心が決める」とあるように、
自分自身の幸せを、周りとの比較で判断したり、ごまかしたり、人の手に委ねるのは、やっぱり違和感があります。
また、幸せはなるものではなく、そこにあるもので、それに気づくこと・・・というのが、これまでの人生、実生活を通して
感じているところです。
ただ、これは今の自分自身が思う自分にとっての幸せであって、不特定多数に当てはまるものなのか、また、今後変化していくものなのかは、よく分かりません。^^;
そう思うと、人の志や夢、幸せなどは、内容や捉え方、想いの強さなど・・・人によって、みんな違うもの。
自分と同じように、みんなそれぞれに、自分が思うものが違うのだということを忘れず、やっぱり対話をしながら、自分も周囲も尊重し合って、持続可能な社会への一因となれたらと思うのです。
(続く)
かぐやかコーディネーター
宮前 奈々子