見守る保育に取り組む先生たちは、
一人ひとりの子どもの発達を
見守っているわけですが、
先生たちが子どもを見守るように、
私たちも先生たちを見守っていきたいものの、
そんな先生たちとのやりとりを通して、
「見守る」の難しさを、改めて体感しています。
様々な先生たち、園がある中で、
こちらが同じことをやってみた時に、
お客様によって、違う結果が出たりするのですが、
ねらいどおりにいかない時など、
どこか動揺している自分がいることも・・・。^^;
でもよくよく考えれば、
先生たちも園も、それぞれ異なるわけで、
ペースも方法も
それぞれに合ったものがあるのでしょうし、
「見守る」は、方法ではなく、
相手によって自分を変えていくもの。
そのために、
相手の声をよく聴き、
相手の意欲をよく見抜き、
相手に合った環境を用意し、
更には、
自分が信じ安心して見守っているか、
そのプロセスを楽しんでいるかなど・・・
それが大事なことであり、醍醐味のはず。
藤森先生提案の「見守る保育の三省」には、
○子どもの存在を丸ごと信じただろうか
子どもは自ら育とうとする力をもっています。
その力を信じ、子どもといえども立派な人格をもった存在として
受け入れることによって、見守ることができるのです。
○子どもに真心をもって接しただろうか
子どもと接するときは、保育者の人格が子どもたちに伝わっていきます。
偽りのない心で、子どもを主体として接することが見守るということです。
○子どもを見守ることができただろうか
子どもを信じ、真心をもつことで、
はじめて子どもを見守ることができるのです。
・・・とあります。
子どもに限らず、先生たちや仲間など・・・
尊い存在に対して、
長い視点を持ち、自分が不安になったりしないで、
信じて真心から見守ることができるよう、
この三省から振り返り
自分の姿勢に注意していきたいです。
かぐやかコーディネーター
宮前 奈々子