今年も梅干しづくりが終わりました。
始めて仕込み段階で発酵を経験するなど、
今年は新たな学びの年となりましたが、
無事に梅干しとして仕上がってホッとしています。
天日を浴びた梅は殺菌され、柔らかくなります。
この出来上がったばかりの梅干しを食べるというのは
毎年この時しか味わえないもので、
ボジョレーヌーボーのように、毎年毎年味が変わり、
その年の思い出となって記憶に刻まれていきます。
今年の梅干しは、たくさんの人の手がかかった記念すべき梅干しです。
7年目にして初めて、土用干しも娘たちがやってくれました。
一粒の梅干しに子どもたちと仕込んだ様々な思い出が込められています。
体調が少し悪くなりそうなときは、梅干しを食べたりしますが、
どの年の梅干しを食べようかと選び、そして食べるときには
その年の思い出も一緒に味わいます。
市販の梅干しでは味わいづらいもの、それはその梅に込められた
「時」と「思い出」です。
先日聴福庵の再生で出会った「煤竹」も同じです。
200年もの間、人々の暮らしを見守り続けてきた煤竹には
その「時」と「思い出」が込められています。
こればかりは、市販のものにはないものです。
子どもたちとの生活や暮らしが味気ないものにならぬように
一つ一つに「時」を重ね、一緒に取り組み、
暮らしの思い出を味わっていきたいと思います。
ミマモリスト
眞田 海