その時代、時代の子どもたちの姿に併せて、
その時代、時代の大人たちの社会の姿に併せて
教育というものは形を変えていかなければならないように感じます。
また、子どもたちは自ら育つ力を持ち、自ら主体的に活動していくものだからこそ、
子どもたちの姿には必ずそうなる理由があるのだと思います。
だからこそ、教育というのは子どもたちを変えていくのではなく、
子どもたちを取り巻く教育環境、すなわち私たち自身を見つめなおし、
改善し続けていくことなのだと思います。
子どもたちを取り巻く環境は大きく変わっています。
1953年には平均世帯人員は5人を超えていました。
これは夫婦二人に子ども3人というのが平均だったということです。
それが現在は平均世帯人数は2.47人。
そして世帯数自体は増加の一途を辿っています。
昔はどの家庭にも平均で3人の子どもがいた。
それが今は平均で0.47人の子どもしかいない。
見方を変えればそんな風にも見て取ることができます。
これは、家庭内から子ども同士の異年齢の関わりや
異発達の関わりができる環境が減っているということを示すことでもあるかもしれません。
特に乳幼児期の子どもたち同士の関わりの不足は
その後の子どもたちの発達や人生に大きな影響を与えるといいます。
上記はほんの一端ですが、そんな世の中の変化に合わせて、
・幼稚園教育要領
・保育所保育指針
・幼保連携型認定こども園保育・教育要領
来年4月からの告示化に向けて、それぞれに改定がなされました。
要領・指針・認定の3つとも新たに加わった要素として
①「資質・能力」の3つの柱
・・・「知識・技能」「思考力・判断力・表現力等」「学びに向かう・人間力等」
②「幼児期の終わりまでに育ってほしい姿」の10項目
・・・「健康な心と体」「自立心」「協同性」「道徳性・規範意識の芽生え」「社会生活との関わり」「思考力の芽生え」「自然との関わり・生命尊重」「数量や図形、標識や文字などへの関心・感覚」「言葉による伝え合い」「豊かな感性と表現」
が加わりました。
そして、これらの要素はどれも「到達目標ではない」ということが強調され。
「その方向に向かっているか」という、あくまでも「方向目標」であるということを
ミマモリングソフトウェアのバージョンアップのために
これらの改定を学ばせて頂く中で、教えていただきました。
この「到達目標」と「方向目標」を整理してみると、
到達目標は、
「ひらがなの文章が読める」「くり上がりのある足し算ができる」のように、
最低限ここまでという内容が実体的に設定されている目標ですが、
それに対し方向目標とは、
「数に対する興味・関心を育てる」「のびのびと楽しく歌う」のように
方向性だけを示し、ここまでという限定のない目標です。
指針を見ると乳幼児期にとって大切なことは「何がどこまでできたか」「なにがどれくらい分かったか」という到達目標ではなく、「身近な人に親しみを感じ、人間に対する信頼感を持てる子ども」や「運動が大好きな子ども」というような、内面の育ちを大切にするものであることを意味しているのだということを感じます。
「孟子」公孫丑上の故事「助長」にこんな言葉があります。
『原文』
宋人有閔其苗之不長而揠之者。
芒芒然歸、謂其人曰、今日病矣。
予助苗長矣。
其子趨而往視之、苗則槁矣。
意訳ですが
「宋の国の人で、苗がなかなか成長しないのを憂いて苗を引っぱった者がいた。
作業を終えて、男は疲れ果てて家に帰ってきて、家の人に言った。
「いやー、今日は疲れたよ。苗を引っぱって長く伸びるのを助けてやったんだ」
息子が仰天して田に走っていった。
苗を見たら、案の定ぜんぶ枯れていた。」
そんな一文です。実際に「助長」という言葉の意味には
「不必要な力添えをして、かえって害すること。」
という意味もあるようです。
乳幼児期において、「知識や技術」ばかりを見てしまう、
「到達目標」というまなざしで子どもを見てしまうことの
危険性を今回の改定では伝えようとしているのだと感じます。
私たちのミマモリングソフトウェアが大切にしているのは
指針のねらいのとおり、「知識や技術」ではなく「心情・意欲・態度」
といった、子どもたちの内面の育ち(発達)です。
今回の改定に伴うバージョンアップも、この大切な本質を忘れずに、
議論と対話を重ねていきたいと思います。
ミマモリスト
眞田 海