昨日ブログに書かせて頂いた詩「ich will」
http://www.caguya.co.jp/wp2/mimamolist/customers/p10708/
これはドイツ語で「強く望む」という意味のようです。
(特に幼少期に良く使う言葉ともあります。)
この詩に書かれていることは
私の解釈ですが、「見守る」という行為を行う時の精神性を
良く表しているように感じます。
「見守る」という行為を行う時、
選択制や異年齢、コーナーやゾーンなど様々な環境設定や
一人ひとりの発達理解などの技術的な部分もありますが、
同時に保育を行う際の「精神性」も重要なのだと感じます。
私自身、いくら家の中にコーナーやゾーンを用意したり、
発達を毎月チェックしていたところで、
自分自身が子どもを「評価」の眼差しで見ていたり、
「相手を変えよう」としていたり、「教え込もう」としたり、
こちらの都合のために動かしたりしていた時が度々ありました。
それは、自分自身が「見守っている」という
実感と結果や効果がほしいからだったのかもしれません。
手法や技法を使っても、子どもたちが感じることは
「ich will」で綴られた通りです。
「選択や自由、主体性、発達を強要されたくない」
子どもたちは大人たちの見守るということに対する精神性を
すぐに感じ取ってしまうんですね。
改めて見守ることができる大人になれるように
自分の眼差しと心づもりを今回の学びから
確認していきたいと思います。
ミマモリスト
眞田 海