昨日美容院に行った際に、美容師さんが
「うちのお店でも
労働時間の見直しをすることになったんです。
そうでもしないと、
若い職員が入ってくれないんですよね。」と。
確かに、働いたことのない学生さんが、
就職先を判断する際に、
給与や労働時間、休み、福利厚生など
見える条件でしか判断できないのも
仕方ないような気がしますが、
「やりがいとか、働きがいとかを
求めて応募してくる人はいないんですか?」
ときいてみると、
「そうは言っても、実際にはお店で
やりがいを提供できる自信もないですよね。」と。
「そうなんだ」と思いつつも、
その美容師さんは、自分の仕事の枠を超えて、
やりがいを持って働いていたりもするので、
やりがいって組織や誰かに
提供される、与えられるものではないのでは・・・
と、違和感をおぼえました。
すると、そんな中で美容師さんが
こんな話を教えてくれました。
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ある村人が、村に引っ越してきた人に、
「あっちの村はどうだった?」ときくと
「とても素敵な村でした」と答え・・・
すると、その村人は、
「それならこの村もきっとそうだろう」と。
また別の引っ越してきた人に、村人が
「あっちの村はどうたった?」ときくと
「とてもひどい村でした」と答え・・・
その村人は
「それならこの村もきっとそうだろう。」と
答えた。
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同じ村ではあるものの、
その人の受け取り方で
いいも悪いも変わってくるのでしょう。
そう考えると、どんな環境でも、
よさややりがい、楽しさを見つけたりつくっていくのは
自分次第のような気がします。
誰かに与えてもらおうとする
主体を失ったその不自然な生き方に
注意したいものです。
かぐやかコーディネーター
宮前 奈々子