こころ

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毎日更新。カグヤの日々の取り組みをご紹介。

こころ

寄り添い

週6日、ジムに通い
アクティブな日常を満喫していた私ですが
とうとう身体が動くことを拒み始めました。
これまでも度々、身体の不具合をお伝えしていましたが
遂に(?!)ギックリ腰です。

 

長年、身体の声を無視し酷使し続けた
“成れの果て”とでも言いましょうか・・・
半年前からは物を持ち上げるたび
左上腕に痛みが走るようになり
さらには右腕に痺れまで感じるようになりました。
これは本気でマズイと思い
この数週間、激しいトレーニングを控え
ストレッチをするだけにしていたのですが
身体は、それすらも許してはくれませんでした。
ストレッチによって緩んだ筋肉は
力を失い半身を支えきれず
突然、崩れ落ちたのです。

 

こうなると自力ではどうにもできません。
しかしこれまで幾度となく
病院やクリニックにいきましたが
誰もが症状だけを聞いて
「加齢のせい」
「年齢にあった運動をしろ」
そう言ってありきたりの治療をするのみでした。
今度もきっと同じ。なら行っても意味がない。
身体の状態も診ず、痛みの背景も聞かず
やみくもにただ「運動をやめろ」と言われても
先の見えない治療に希望など見えない。
そんな気持ちで治癒も、運動すらも諦めかけていました。
しかし知人から、自身が通った接骨院を薦められ
医者よりはマシくらいの気持ちで行きました。

 

そこの先生は全身の状態を診た後、
これまでの経緯や症状の変化や
日常の活動状況に至るまで時間をかけじっくり聞くと
「まずは一旦運動をやめて痛みを取りましょう。
それから徐々に運動を始めましょう。」
と言ってくれたのです。
そして「きちんと治せばこれまで通りの運動も
これから先、何年も続けられる」と・・・。

 

はじめて相手に自分の気持ちが伝わったと思えました。
「私はただ、自分の日常を送りたいだけ」
その想いに寄り添ってもらえた気がしたのです。

 

日常生活は、それぞれのひとにとっての
当たり前の積み重ねです。
歩けることが当たり前のひともいれば
走れることが当たり前のひともいます。
飛んだり跳ねたりの日常が当たり前のひともいるのです。
その人にとっての当たり前に向き合う。
それは簡単なようで難しいことなのだと感じます。
ましてや、自分自身でさえ当たり前のことが
特別なことであることを忘れてしまうのです。
他人に自分と同じ尺度で“当たり前”を測るなど
望んでも容易に叶うことではありません。

 

心と身体は一体です。
気持ちが前を向けば身体も前向きになります。
“一緒に同じ方向を見てもらえている”
その安心感は私にとっての希望でもあります。
そんな有難いほどの寄り添いを感じつつ
今日もせっせと接骨院へ・・・。

 

ミッションパート
佐藤真樹