昨日お伝えした「春の小川」。
今朝、案内板のある電柱を追って、その跡を辿ってみました。
案内電柱に「春の小川 この通り」とあり・・・
その道を進んでいくと、
道に沿った家の立っている場所との高低差から、
確かに、かつてそこに川が流れていたことが想像できました。
また、小田急線の代々木八幡駅付近の線路沿いまで進むと、
「春の小川」の歌碑に出会いました。
この付近のどこを見ても川なんて見えないので、
「その昔、河骨川が流れていた」と思っていましたが、
実はこの川は、暗渠化され、
今でも陽のあたらない「地下」を流れているようです・・・
調べてみると、河骨川にかぎらず、どうやら昭和30年代の東京では、
宅地化の進行に対して下水道の整備が全く追いついていなかった為、
大量の生活排水を川に垂れ流し、
それによって、かつての小川は「ドブ川」と化し、
猛烈な悪臭を放つようになり・・・
そのため、地域住民の強い要請もあり、
東京オリンピック(昭和39年)の開催に合わせて、
都市の体面を整える目的でコンクリートの蓋をし暗渠化された
「ドブ川」が少なくなかったといいます。
人間も自然の一部である以上、自然の恩恵を受けて生きているわけですが、
その自然が、生活上都合が悪くなったからと、
勝手に邪魔にならない所に追いやってしまうのは、
人間の傲慢さのあらわれだと感じます。
こんな人間都合の対処には、心が痛みますが、
それ以上に、そんな背景も全く知らずに
のほほんと生活できている自分自身は、なんとも平和ボケしていると感じ、
違和感と共に、情けなくも感じます。
繋がりの中で存在しているからこそ、目に見えるものだけでなく、
裏側にある真実も、しっかりと見ていく必要を感じました。
かぐやかコーディネーター
宮前 奈々子