今年もお盆は妻の実家、長野の立科へ来ています。
2月に妻が祖母を亡くしたこともあり、
今年は新盆です。
ご先祖様が帰ってくるのがお盆ですが、
今年はお祖母ちゃんの顔が浮かびます。
生まれてからずっとそばにいてくれた存在が、
急に魂へと変わり、見えなくなるということは
やはり、今でも寂しいことです。
しかし、亡くなってもその存在を感じることはでき、
また、大切にすることが出来ます。
今年は7月の東京のお盆では、私の父親の眠る
海の沖のある地点まで、
子どもたちを小さなヨットで連れていくことが出来ました。
先週もまた訪れることが出来、
子どもたちは
「おじいちゃんに会いに来れた!」
「おじいちゃーん、来たよー!」
と、とても嬉しそうなだけでなく、
夏休みの絵日記にもお参りに行ったことを書いていました。
子どもたちにとっては、
会ったこともない存在でありながらも、
その存在を感じられ、大切にし、自分の人生の思い出として
刻み込んでいることを思うと、
このお盆という習慣は子どもたちの大切な感性を
大切なままにしていく行事でもあるように感じます。
これからの数日間、子どもたちの素直な感性に触れ、
そして私もそこから学んでいきたいと思います。
ミマモリスト
眞田 海