セミナーでこんな言葉をお聴きしました。
「子どもを大切にするやり方」に多様性があることは大事だけれども、
大切にしているか、していないかでは多様性はあってはならない。
保育にはいろんなやり方があり、どれも子どもたちのためにと考えてのこと。
しかし、考えているけど、
実際には子どもが大切にされていないことも多々あります。
頑張ることが大事だからと、
猛暑に太鼓練習をさせ、倒れて救急車に運ばれた園児。
そして驚くべくは、そのあとに残された園児で
練習が継続されたこと。
そんな事例をお聴きする中で感じるのは、
「多様性」という言葉に甘んじることの怖さです。
それこそ、組織の中で「自分らしさ」を発揮していくことは
大事なことですが、その「らしさ」が人に嫌な気持ちを与えたり、
苦しませたり、我慢させたりと、
誰かの「自分らしさ」を邪魔してよいわけではありません。
「多様性」というものをしっかりと振り返り、
「全体」にとって「善」となっているか。
誰かに無理をさせていないかという、不自然さを皆で見ていく
必要性を感じます。
「何でもあり」と「多様性」が違うのだということ。
まだまだ、この「多様性」という言葉の深さを理解していませんが、
引き続き、深めていきたいと思います。
ミマモリスト
眞田 海