先日、鹿児島で研修をして頂いた中で、
「あなたが今までで一番喜んでもらったこと、世の中に一番役に立てたと
思うことは何ですか?!」
と質問を頂きました。
それは何なのだろう。
自分が今までで一番喜んでもらったこと。
世の中のお役に立てたと思えること。
仕事での成功体験や家族を持ったことなど
色々と頭をめぐりましたが、
どれもしっくりとは来ませんでした。
反対に、自分が今までで一番うれしかったこと、
喜ばせてもらったことは何だろう?!と思うと、
心にしっくりとくるのが
「子どもたちが生まれて来てくれたこと」
この世に新たな命として生まれ、
新たな世代として生きる希望。
何の血のつながりもない夫と妻を「親」にしてくれ、
掛け替えのないつながりを作ってくれたこと。
どれだけ子どもたちに感謝しても仕切れないほどに、
嬉しい出来事です。
そう思うと、自分自身も同じなのかもしれないと思いました。
私自身が今までで一番喜んでもらったこと。
世の中の役に一番立てたこと。
「自分自身が生まれたということ」
この世に生を受けたということ。
それ自体が何よりも尊いものであるように感じます。
研修の中では、自分が役に立ったこと自体が
自分自身の「誇り」になると仰います。
そういう意味では、誇りの原点は自分自身の中では、
どうやら生まれてきたという事実にあるようです。
どんな偉業をしようとも、それは生まれていなければ
することはできません。
さて、自分の子どもが偉業をしなければ、
何かとてつもなく大きなことを志さなければ、
その子の産まれた意味はないのでしょうか。
どんな偉業をしなくとも、生まれただけで人は十分な存在なのだということを
何故人は忘れてしまうのでしょうか。
人との比較、自分自身の中にある欲。
自分に出来ないことや自分にできることを人に投影する心。
「足るを知る」という言葉がありますが、
自分自身に対しても、人に対しても、
その生まれ持った生に対して、「足るを知る」自分とは何か。
少しずつ深めていければと思います。
ミマモリスト
眞田 海