父親の17回忌の法要を執り行いました。
早いもので、この16年のうちに私も親になり、
子どもたちはもちろん、父親も私の子どもを見たことはありません。
しかし、子どもたちは私の父の存在を知っています。
写真を見るたび、梅干しをつけるたび、味噌を作るたび、
キャンプをするたび、海や山に行くたびに出てくる思い出話が
子どもたちにも積み重なっているようです。
そして、子どもたちが感じている
「おじいちゃんの存在」の分だけ、
おじいちゃんも子どもたちの存在を感じているような
そんな喜びに似た気持ちを持ちます。
そんな「おじいちゃんの存在」を子どもたちが
たっぷりと感じられるのが、こういった節目の時なのだと感じます。
皆で集まり、食事をしたり、共に色々と過ごしながら
故人のことを思い出して語ったり、好きだった音楽を聴いたり、
好きだったご飯を思い出しては、味わったり。
そんな風に過ごす中で、
たっぷりと笑い、幸せに暮らす姿こそ
故人が安心する大切なことなのだと、
お坊さんに今日はお話を頂きましたが、
これからも、故人を忘れず、こういった機会を大切に、
子どもたちへと伝承していけたらと思います。
また、この季節は太陽が真西に沈みますが、
仏教では「あの世」は西の果てにあるとされる中、
夕方に太陽が沈みゆく姿を拝むことで、
故人と繋がれると教えて頂きました。
夕日を見る心が、この時期はとても暖かく喜ばしく感じられそうです。
ミマモリスト 眞田 海