こんにちは。大河内です。
先日、仕事を終え家に帰ると、テーブルの上に
娘が大切にしている2ひきのウサギのぬいぐるみが
「なにか」を担いでおり…
よく見ると、それはキュウリでした!
「まさかベランダで育てているキュウリ??」
と妻に確認すると、ここ数日で大きく実になったため
日中に娘と収穫したとのことでした。
初めてキュウリを栽培する私としては、
どんな風に実になるのかを楽しみにしていたのですが、
ちょっと目を放していた間に、キュウリは立派に育ち
実になり既に収穫されてしまっていました。
「こんなに早く実になるものなのか」と驚き、
それでも家で育てたキュウリということで
新鮮な思いで有難くいただきましたが、、
今回、キュウリの味はわかりましたが
「キュウリの育ち」というもの自体は全然味わえて
いなかったことに気付きました。
妻と娘は、毎日観察し、花が咲いたとよろこび、
実が出来るかと思ったら最初の一つは萎んでしまい
「本当に実になるのだろうか」と思いながら、
キュウリの育ちに寄り添いながら今回の収穫を迎えました。
それに比べ、休日しか確認できていなかった私は
実になったということを喜んだだけで、妻や娘が感じた
感動には程遠かったのだと思います。
そこにある、育ちの豊かさの違い。
娘に対しても単に「出来たこと」を喜ぶだけではなく
その背景にある成長の過程を見てあげたいと思います。
ビジョンリスナー
大河内 盛友