毎月の初心会議で実施している「社内木鶏」。
今月は到知の4月号の記事の中から、久しぶりに様々な記事のまとめで木鶏記事を書きました。
(「社内木鶏」については下記をご覧ください)
https://www.chichi.co.jp/study/contentsstudy/shanaimokkei/
今回、「運と徳」というテーマの中で、どの記事にも共通していることがあると感じました。それは「物事の受け取り方」です。逆境を「運がいい。チャンス」と受け取る人もいれば、不平不満を言う人もいる。その受け取り方で「運がいいか悪いかを自分で決めている」のだと学びます。自分自身にも、他人にも、どんな感情や言葉を発しているか。普段自分が感じている感情がそのまま、「運がある」「ない」を表しているのだと気付きます。疑ったり、偽ったり、隠したり、比べたり。そんなことをし続けるよりも、信じたり、認めたり、さらけ出したり、比べることを辞めたり。そんな自分に近づいていきたいなと改めて感じました。また今回の記事を読んで一番印象的だったのは、記事内のことではありませんが、朝行っている「ついてる体操」のことです。天国言葉や地獄言葉などが張られたあの壁のことを思い出したのです。この取り組みは「ありがとう、ついている、めでたい」などの天国言葉を発信して行く習慣を身に着けることで、心の振動数を上げて、運のよい一日を過ごしていく為の取り組みです。この取り組みのお陰で、暗い朝の空気が一変し、朝から笑いや笑顔、元気が生まれてくるのはすごい実践だと思います。話は変わりますが、斎藤一人さんの講演「正しい徳の積み方」を聴いたとき、『人に喜ばれることをすると「徳」が生まれ、人の心を暗くしたリ、重くしたりすると「徳」を失うんだよ。いつも笑顔でいることや、空気を明るくしたりすることは徳を積んでいるんだよ。愚痴や不平不満を言い続けていると徳を失うの。だから、私たちは人の気持ちを軽くしてあげること、明るくしてあげること、笑顔でいること。それが大事なんだよ、人生は知識やテクニックじゃないんだよ。テクニックよりも徳を積むんだよ。それをしていれば、どんなことがあっても、なんとかなっちゃうんだよ。心には徳が必要なんだよ』という一人さんの言葉から、「陰徳」だけでない「徳」の積み方を学びました。きっと人にはその人に合った徳の積み方があり、同時にその人にありがちな徳の失い方があるのかもしれません。また、徳の積み方も、徳を失わないことに力を使うことも、徳を積むことに力を使うことも出来、両方のバランスを取ることが出来るのかなとも思います。しかし、そのためには、自分をちゃんと見ることが出来ないといけませんが、自分のことを自分で見ても、私は正しく評価ができません。それは、自分の中に答えが無いからです。周りが喜んでいるか、困っているか。心が明るくなっているか、暗くなっているか。そんな周りの姿や声に耳を傾けること。そしてまた、目先の明るい、暗いに惑わされない、遠きを図った目線も持つことも大切だと気付きました。そして、今月の面談を3人で初めて実践したことを振り返る中で気づいたこと。相手が喜んだか、暗くなったかという振り返りも、もちろん徳を積んだかどうかが分かるかもしれません。しかし、それと同じくらいに、その取り組みは会社が喜ぶものだったか、暗くなったか。社会が喜んだか、そんな振り返りの眼差しもまた大切なのだと感じました。それをこれから実践し、経験を体験に変えていきたいと思います。
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ミマモリスト 眞田 海