人を引っ張り上げよう、育てようとする弊害に
「助長」があることを孟子は言いました。
その反対の役割が、見守るということなのだと改めて感じます。
しかし、見守るからには見ているだけではいけません。
何かしら、見守ったときにフィードバックが必要です。
フィードバックとは何かを学ぶ中で、
それが正しいかどうかは分かりませんが、
自分の中で感じたことがあります。
これもまた、頭で理解したところで、意味はなく。
語れるけれども実践できなくなるものでもあろうことなので、
備忘録的な残し方なのですが、、、
◆フィードバックの役割
「相手が安心して、おもいきってやれるように、信じて後押ししてあげる役割」
これは、引っ張りあげる役割の反対です。
だからこそ下記の視点が大事になってくるように感じます。
◆フィードバックをする際に大切にする視点
・そもそもその人は充分に頑張っている、やっているという前提で相手を見ること
・その人の足りないところよりも、あるところを見ること
・その人の良いところを伝えてあげること
・物事をポジティブに見てつたえてあげること
・一見悪いものも福に転じる気持ちでつたえてあげること
・今も十分だけれども、ここをこうしたらもっと良くなるよと伝えてあげること
教える時は先に伝えることや語ることが有効ですが、
見守るときには相手が望まない限りは弊害となる。
見守るとは、自分の思いを伝えるよりも、
相手の思いをくみ取れる力が必要なのだと痛感します。
その「聴く」ということは、能力の問題ではなく、
「姿勢」の問題です。
人は能力を変えることは難しいですが、
姿勢を変えることは、能力を変えることよりも容易です。
子どもを授かったから、たばこをやめよう。
これは能力ではなく姿勢です。
何かをきっかけと思い、自分の姿勢を改める。
これは今、私自身が通過しようとしている課題であり、
痛みであり、喜びです。
ここでいうフィードバックとは、相手方に、「やろう」という意識を持った人がいなければ、
存在する理由が「引っ張り上げる人」に急変するかもしれません。
「引っ張り上げてしまえば」それを行う主人公は私です。
しかし、自立を妨げる関わりはお客様にも、仲間にも、家族にもしたくないからこそ、
人を信じ、人を待ち、人の話を聴き、人の心がその人自身の気づきによって明るくなる。
そんな姿勢をいつかは?!身に着けていきたいなと、改めて思う一日となりました。
ミマモリスト 眞田 海