頭の中では、ひとは発達段階に沿って育っていくと信じていますが、
実際の子どもたちの世界を見ていくと、
今の発達状況と取り組もうとしていることに
ギャップがありすぎることが多々あります。
今の発達を十分に味わおうというよりも、
好きな人、仲の良い人との友だち関係を優先して
取り組んでいる姿も多々あります。
その姿を見ていると、
その遊びに取り組みたいのではなく、
その子たちと遊びたいというのが目的や興味関心であって、
目の前の失敗には目もくれません。
そして、不思議なことに自らの育ちを
急激に後押ししてくれるのもそんな存在であったりもします。
少し年の離れたお姉ちゃんがいるというのも、
また似たような関係性と発達を促しているように感じます。
そういった現実があるからこそ、個々の今の発達課題に対する
環境設定や、その先にある課題の環境設定が、ゾーンやコーナー、
異年齢や選択制という智慧によって整備されていることが
どれほど重要なのかということを感じます。
同じ年齢や発達段階だけでとらえていては、数歳離れた
子どもたちに対する発達を保障する環境を用意することは
現実的ではありませんが、異年齢ではそれが通常です。
習熟度別に環境が用意されているだけでなく、
習熟度をまたいだ環境が既に網羅されているというのが、
異年齢児保育をしつつ、環境設定型、「選択制保育」を行っていることの
メリットであるのだと改めて感じます。
そう思うと、集団の中での育ちを保障する要因は
「選択制」「習熟度別」といった観点以外に、
「仲の良い人と存分に過ごせること」というのも重要な要因であると
改めて感じます。
そして同時に、この「人と仲良くなる力」というのは
自分と同じ価値観の人を探すということならず、
「違いを受け入れられる力」や「自分と異なる人と関われる力」。
すなわち、EQ(Emotional Intelligence)「こころの知能指数」や
SQ(Social Intelligence Quotient)「社会的指数」など、
やはり「異年齢」や「異発達」の子ども集団の中で
存分に過ごせる環境が要因として大きいのかもしれません。
それは子どもに限らず、私たち大人も
そんな多様性の中で、自らの心と社会性を磨いていけるのだと
改めて感じます。
ミマモリスト 眞田 海