以前、実家を人に貸すために家財を処分して修繕する話を書きましたが、それらの作業が完了したというので再び帰郷してきました。
会社がお休みになるお盆に確認と引き渡しができるようにと大工さんが作業日程を調整してくださり、私たち姉妹のために大切な親族との時間を割いてくださいました。
家財がきれいさっぱり無くなった家は、これまでの生活の痕跡も、家族の残像もすっかり消え失せ、ただ静かにたそこに佇んでいるようでした。
空間だけが広がる家の中を回りながら、ひとつひとつ丁寧に大工さんが今回の作業の説明をしてくださいました。
一部、荷物が多すぎて何ひとつ確認もせず全廃棄をお願いした部屋も、すっかり物がなくなりきれいに修復されていました。
運び出すだけでも大変な作業だったはずです。
それにどの部屋もかなりくたびれていたのですが、基礎となる土台部分がしっかり築かれていたお陰で、壁紙と畳の張替えで見違えるようになりました。
「この家は100年は持ちますから。親父が建てた家ですから。」
実は今回お世話になった大工さんは、この実家を建ててくださった棟梁の息子さんでした。
彼のお父様は根っからの職人気質で、お客様のため、家のためにならないことは、例え施工主の要望だろうと一切引き受けない人でした。
実際この家も、棟梁自ら父を伴って大黒柱を山に切り出しに行くところから始まったので、完成まで1年以上かかりました。
一切の妥協のない職人技で建てられたこの家は、跡を継いだ息子さんの誇りでもあるようでした。
別れ際、大工さんが家の鍵と一緒に小さな紙袋を渡してくれました。
「廃棄品の中に写真があったものですから・・・。」
中には小さなアルバムが数冊入っていました。
そこにはこの家で両親に守られ安心しきった笑顔の私たち姉妹と両親との懐かしい日常が写し出されていました。
それは空っぽになったこの家に、私たちは家族が間違いなく暮らしていた証でもありました。
この写真もただ作業していたのなら廃棄されてしまっていたに違いありません。
あの手付かずの部屋一杯の荷物を、ひとつひとつ丁寧に確認しながら運び出してくださったのでしょう。
彼の「心」ある仕事に、棟梁の姿が重なります。
彼は父である棟梁から技術だけではなく、その「精神」もしっかりと受け継いでいるのだと感じました。
ミッションパート
佐藤真樹