毎月の初心会議で実施している「社内木鶏」。
今月は到知の10月号の記事の中から、この方の記事を選びました。
(「社内木鶏」については下記をご覧ください)
https://www.chichi.co.jp/study/contentsstudy/shanaimokkei/
今回、今泉健司さんの記事を読んで人生に生かしたい学びをたくさんいただきました。
30年間、苦しい中でも将棋に情熱を持ち続けたことも素敵だと思いますが、私は今回の記事の中で特に印象的だったのは、今泉さんが「自分を変えようとするのではなく、何度も何度も失敗や苦しみの中で自分を見つめて、理解していった姿」です。30年もの間、チャンスが来るたびに自分の性格が故に手から零れ落ちていくその苦しみの中で、「困難を乗り越えたというよりも、受け入れるより仕方がなかった」と仰る今泉さん。
私だったらと思うと、そんな苦しい思いをしてまで、自分らしさや個性を貫くくらいなら、そんなに無茶をしないで出来ることを探したり、傷つく挑戦をなるべくしないようにしよう。なるべく責任を負わないようにしよう。私だったらそんな風に日常を過ごしていたかもしれません。
今泉さんの記事からは、べてるの家で教えて頂いた「弱さを絆に」という言葉になにか共通する教えを感じました。
「弱さ」は変えるものではなく「受け入れる」もの。自分が心から受け入れたときに、その弱さは自分の強みに変わり、物事は自然と変わっていってしまうのだということ。それを、浦賀町で早坂潔さんにお会いした時、「健常者はつらいよな、中々自分を受け入れられないもんな。俺たちみたいに素直に受け入れづらいもんな。生きづらいもんだな。」そんな風に、お水を注いでくれながらお話しくださったことを思い出しました。
自分が見たくない自分にふたをするのは、直視することが「怖い」。直視したら「変わらないといけない」と思うからかもしれません。しかし、見つめるだけでよいのだ。見つめれば、自分が変わるのではなく、見つめれば自分が見ていた景色が自然と変わっていくのだ。そんな風に教えて頂いているように感じます。
今月、カグヤをどんな会社にしていきたいのかと考える機会が沢山ありました。そんな時、こうありたいと未来を描くほどに、それを実現することへの不安や、数字のことや失敗のことなどを考える自分が生まれ、不安定な気持ちを持ち続けていました。
しかし、そんな自分がいるということを見つめ、それを仲間に言葉として共有したとたんに、自分で自分の弱さを認められたような気がして、急に景色というか見え方が変わったという体験をしましたが、今回の記事を読んでみると、改めて、ベテルさんでの体験や社内での様々な体験のお陰で、自分を受け入れられているのだと実感しました。
これは本当にありがたいことです。強くあることよりも、正しくあることよりも、自分をちゃんと見つめて、自分を受け入れて大事にするということは、「物事の見え方を根底から変えていけるすさまじい力がある」ということを教えて頂きました。これからの人生に活かして行きたいと思います。
ミマモリスト 眞田 海