昨日は田んぼでの「収穫祭」。
これまでのご縁によって開くことが出来た
有難い機会です。
その場に、誰がいるかによって、
どんな働き方や生き方をしてきたかが分かるのだと
改めて感じます。
昔、お米作りは村の皆が仲間であり続けるように、
沢山の人々が助け合い、そして節目節目では、
天皇行事や神社の行事と同じタイミングで「お祭り」を行い、
神社や国とのつながりも自然と保っていける
大切な仕組みだったのだと感じます。
私たちは、「お米」を作っているのではなく、
お米作りを通じて「国」を作ってきたのではないか。
そう感じるくらいに、古来のお米作りには様々なマネジメントの
工夫が散りばめられているのだと感じます。
つながりが薄れ、ご縁や地域が薄れ、地球が汚染されていく中で、
成熟したこの社会には改めて必要になってくる智慧のようにも感じます。
日本人がやってきたことを大事にするというのは
大枠でいえばそうなのだとは思いますが、
この地域のこの気候、この文化の中で、何を中心にしていくことが
国造りとして大切なマネジメントだったかということが、
「日本人らしさ」だったのかもしれません。
大切なのは「国を作っていく」ための善良な行い、
マネジメントとは何か。
そこにはやはり、教育や暮らしなど、
保育園を小さな「国」と見立て、
子どもたちが主体になっている世界の中で、
子どもたちから学ぶことはとても多いように感じます。
ミマモリスト 眞田 海