ある雑誌の記事に
「指導者は学ぶことを辞めたとき、教えることも辞めなければならない」
という言葉がありました。
これはフランスのサッカークラブの監督の言葉であったそうですが、
この言葉から感じるものが多々ありました。
それは「指導者は何から学ぶのか」ということです。
多くの場合、本やセミナー、先輩や有名な方々、偉人から学ぶということは
多々あるように思います。
しかし、その大前提に「指導しようとする相手から学ぶ」という姿勢が
あるかどうかが重要なのだと最近は痛感しています。
保育であれば、目の前の子どもから学ぶ姿勢があるか。
組織であれば、部下や同僚から学ぶ姿勢があるか。
ということです。
「この子のこんなところが素晴らしい」
「あの子のこれが凄い」
相手に良いところ探しだけでは、相手を「評価」することを超えません。
「評価」の眼差しで相手を見るのか。
それとも、相手から学び、そして自分自身が真似をしようという目線で
相手を見るのか。
本来の「学ぶ」とは「真似ぶ」という真似することが語源とありますが、
この本来の趣旨を忘れずに、相手から「学ぶ」という姿勢が
大前提にあるかどうかが、チーム作りや組織間の主体性、協働には
欠かせない価値観であり文化であるのだと感じます。
自分自身の「評価」の眼差しを「学び」の眼差しへ。
一つ一つ自分の中にある「勿体ない」眼差しを見つけていきたいと思います。
ミマモリスト 眞田 海