娘がフィギュアスケートを習い始めてもうすぐ4年が経ちます。
毎週日曜日の午前中に送り届け、準備を手伝い、レッスンが終わるのを待って
自宅へ戻るという習慣が出来ましたが、
少しずつ、子どもも成長し、手を掛けずに自分でできることが増えてきました。
1人でもちゃんと帰ることができるようになると、
準備ぐらいで私も手持無沙汰。。。
屋上のテニススクールに通うようになって一年が経ちました。
最近では準備も出来るようになり、いよいよ親の手も離れて行きそうです。
子どもが自ら挑戦をし続ける姿を見ていると、
私自身もその環境の土台となれたことを嬉しく思いますが、
同時に、自分で出来るようになることによって親の役割もそこにはなくなっていく。
嬉しくも寂しいような感慨深い気持ちですが、
それが育ちというものですね。
同じ場所に私自身の居場所を作ることより、
子どもたちの応援や後押し、見守ることに居場所を作っていくのだからこそ、
私もテニススクールに通う必要もないので
私の日曜日の習慣も随分と変わりそうです。
子どもの育ちによって親の役割も変わってくるというのは
親自身の育ちを子どもたちが支えてくれていることのようにも思います。
子どもたちの育ちが次にどんなドラマや役割を運んでくるのか。
とっても楽しみです。
ミマモリスト 眞田 海