「お米には7人の神様が宿っているんだからきれいに食べないとね
子どもの頃、母がよく言ったものです。
実家は農家ではなかったので、お米作りの苦労や大変さを知らずに育ちました。
でも農家のクラスメートが、春の田植え時期と秋の稲刈り時期には家の手伝いで学校を休んだりすると、そんな理由で学校が休めるなんてずるいなどと羨んでいました。
今にして思えば、米作りとはそれだけ人手も要る、大変な仕事なのだと分かります。
“米”という漢字がお米を作るまでに八十八の手間暇がかかることが語源になっているように、天候や田んぼの状態、稲の健康に常に心を配り世話をし、自然の助けを得て初めてその実りをいただくことが出来る、命を宿した穀物だったことを、実際に米作りをして実感しています。
そのどれ一つが欠けても手にすることはできない天からの恵み。
神様が宿っているというのも頷けます。
ちなみにここで言う7人の神様は「七福神」という説が最も多いようですが、「土・風・雲・水・虫・太陽・作り手」の7つを意味しているという説もあるそうです。
「米一粒に神様が7人いたら一杯のご飯には何人神様がいるのだろう?」
「お米炊くとき神様は熱くないのかな?」
子どもの頃は純粋にそんな疑問を抱いておりましたが、そこにはこうしてお米を食べられること自体がとても貴重で有難いことであり、そうした沢山の恩恵をいただくことに感謝しなければいけないという教えがあったのですね
年配者たちからの有難い言葉の数々は、感謝することの大切さと共に、人としての心を育む道しるべでもあったように感じます。
幼き日に、口うるさくも多くの学びをくださった大人たちに、いま改めて感謝申し上げます。
ミッションパート
佐藤真樹