今日は大変ありがたい再開の機会となりました。
吉川宗男さんとは2008年に弊社代表が出会い、
その後2009年に京都の鞍馬山で研修をしていただいて以来の
ゆっくりとお話をさせていただく機会となりました。
今よりもさらに未熟だった11年前の私は、お話の内容を理解する知識も経験も足らず、
吉川さんの講義から「パッション」や「いのちの力」のようなものと
その前向きな感性や面白がったり、面白くする感性の大切さをその時感じていました。
そして今日、改めてともに食事をし、そしてともに同じ家で眠りにつくという、
「暮らし」を通してお話をお聴きするなかで、
当時よりもずっと、お話の先にある「意味」や「意図」「因果」「真理」などについて
触れられたような気がして大変うれしく思いました。
自分自身が体験してきたことを、吉川先生の理論や言葉で表現をしていただくことで
体験が理論と結びつき、人生にとっての重要な「経験」に変わっていくような、
そんな昇華する想いを今日は持ちました。
「体験」と「理論」。どちらも重要であり、
どちらかだけでも「経験」にはならず、
自らの「いのち」が輝く生き方にはつながりませんが、
「体験」と「理論」の両方が結びついたとき、
いのちが輝く「経験」に変わるのだと学びました。
どうしたらいのちが輝くのかという軸を持った生き方は、
私の初心そのものでもあり、改めて今日は多くの気づきを頂きました。
私自身の人生においても、ぶれない一つの生き様を見せて頂きました。
ありがとうございます。
そして、これらの奇跡のような体験を味わえるのも、
このような「場」があるからであり、「場」を磨いてきたからなのだと学びました。
そして、「場」作りとは
「今」自分が何をその場に与贈出来るかの連続であるのだと感じます。
その最たるものが「暮らし」を見つめ、「暮らし」を磨くことなのかもしれません。
子どもたちに残して生きたい生き方・働き方とは何か。
どんな暮らしが人を豊かに、そして育んでくれるのか。
一つ一つの体験から学んでいきたいと思います。
ミマモリスト 眞田 海