昨日は父親の命日。
そして恩人であり、ヨットのパートナーであり、
父親のような存在の人の、大きな手術の日でした。
まさか命日と同じ日に。
父は東京のお墓と、散骨した海と二つの場所に眠っていますが、
母は東京のお墓へ。そして私は海へと
コロナ感染の拡大防止のために誰とも接触しないよう
車で向かいました。
父とも、その彼とも過ごしたヨットクラブへ到着し、
海を眺めていると、遠くに父が眠る灯台が暗闇の奥かなたで
時々光りました。
雨も、風も強かったのですが、
その砂浜に足を踏み入れると、
二人とのそれぞれの思い出が浮かび上がると同時に、
不思議と、手術は大丈夫だと、きっとうまくいくと、
言ってくれているような気がして、
ここ一か月、ずっと抱えていた不安が少し消えていったことに
驚きました。
ほんの10分の滞在でとんぼ返りでしたが、
誰とも会わずとも、誰かと会ったような、
そして、諭されたような、そんな気持ちになれるのも、
命日がくれた「自分と向き合う時間」のお陰のように感じます。
亡くなった父親の存在を想う時、
その世界では、父親から見える私自身を見ることが出来ます。
父親にだから見せられる、正直で素直なありのままの自分自身です。
その自分を見ることが出来れば、自分を見失うことはありません。
どんな出来事が起きようとも、自分にできることは
その時々の最善を尽くすこと。そして初心を貫くこと。
心が弱ると、自分を見失い掛けますが、
今回もまた、父親に助けられたような、
見守られたように感じます。
ミマモリスト 眞田 海