先日、ある建築家の方とお会いする機会を頂きました。
ご自身が管理人をしていたシェアハウスを見せて頂いたり、
新しく今建築中のパースを見せて頂いたり、ご自身が住んでいるシェアハウスを見せて頂いたり、なんと自室まで(笑)
何でもオープンに、そしてフランクにそして自然な振る舞いは、
何となくですが、海外の人のような感じがします。
今は日本ではシェアハウスという文化はなくなり、シェアハウスという建物がありますが、
海外では今も普通に、自宅の一室を誰かにシェアしたりという事が文化として定着しています。
私もオーストラリアに滞在していた時はそのような環境で過ごしましたが、そういった文化というのは人々の中にある「形なきもの」であり、そしてまた簡単には作ることが出来ない宝物のような価値観であると感じます。
その方を見ていて感じたことには、そのオープンさの他にも、住む場所に対する価値観でした。
私は家具や棚にしても、基本的には買う事しか考えていませんでしたし、家に釘を打つことも抵抗があるくらい、家や部屋に対して、「そのままの状態で使う」という価値観が強いことにその方と出会って感じました。
もっと、自分の暮らしが喜ぶように、部屋が、家が喜ぶように好きに手入れしたり、作ったりしていいもんなんだな、最悪戻せばいいんだな、、とその自由な発想や感性にどこか、
キツネにつままれたような感じになると同時に、自分を知りました。
完璧なものを目指すがあまり、やらなかったり、既製品を買い続けるよりも、
完璧じゃなくても手作りの方が、ずっとずっと、その場に愛着を持てたり、場が喜んだりするかもしれません。そしてそれはまた、自分自身を磨いてくれる実践でもあるかもしれません。
頂いた学びを、行動に変えて、新しい価値観を見つけて行きたいと思います。
ミマモリスト 眞田 海