毎月、皆で人間学を学ぶ月刊誌「致知」を読み、自身の実践と照らし合わせながら、皆で感想を共有し学び合う「社内木鶏」を行ってきましたが「今月は別の本でもやってみよう!」という声により新たな試みが。
そんなわけで、今回選ばれた本「続・ゆっくり、いそげ」の第1章からの感想文を、こちらのブログでも発信していきたいと思います。
今回の本の第1章まで読んでみて一番心に残ったのは、「成長を『測ろうとする』、あるいはその前提として『測れるものと考える』視点の限界があるのかもしれない。」「事業体や組織の成長でありその秘めた力は、測ろうとするのではなく感じること。そういう付き合い方がいいんだろうと思う。」という内容でした。
これには共感と共に、刷り込みをとってくれるような安心感をおぼえました。会社を考えた時、また考えなくても会社にとってのあたりまえの中に、「評価に見合う対価を」という考えがあり、どうしたらそれが実現できるかを悩んでいましたが、その必要性から考え直すことがあっていいのかもしれません。そしてこれは、何も評価基準だけの話ではなく、今「あたりまえ」と思われている既存の価値観を一度捨て、そもそも必要なのかから疑い、ゼロから考えなおすことで、子どもたちがつくる未来にも、カグヤにも合ったものがもっと見えてくるのかもしれないと感じました。
「△を▽にしてみたら?と、成果の達成のために最短距離をいくのではなく、一人ひとりや偶然に機会を与えるようにお店をつくったら、それは木が枝を広げるように大きく育った。」と裏表紙にもありましたが、クルミドコーヒーさんの歩みや考え方など、本を読めば読むほどカグヤとの共通点というか「同じだ!」と思えるほど共感ばかりでした。
そんな中で、今回の本を読んだ時も、先日お店に訪問しお話をお伺いした時にも、「理念」に対してどこか否定的な捉え方があるように思われ、理念を大事なものとして捉えている自分自身にとってはなかなか理解が難しく疑問もあったのですが、(第2章と読み進めていくうちに見えてくるものがあるのかもしれませんが・・・)、現段階において自分の中で深めてみると、これは理念に対しての問題ではなく、理念の存在によって一人ひとりのいのちを傷つけてしまうことや、気を付けないとそうなる恐れが大きいということが問題なのかもしれないと感じるものがありました。
クルミドコーヒさんにも、「お店を訪ねてくれたお客さんに喜んでもらうこと」「来た時よりも少しでも元気になって返ってもらうこと」「まちの人々の日々の励ましや癒しとなること」というお店の目的があり、そこに存在意義を持っているという意味では、カグヤの理念と共通するものを感じましたので、言葉で迷走しないように、理念や目的といった言葉の再定義、整理も自分の中で必要だと感じました。
そして8月にも「初心フィードバック面談」を行いましたが、この初心を大事にすることはまさに一人ひとりのいのちを大切にすることに繋がると思うので、何が正しいかは分かりませんが、そもそも正しさを求めることではなく、自分自身が会社づくり、社会づくりをしている一員である自覚をもって、引き続き個(初心)と全体(理念)のバランスをとりながら、試行錯誤していきたいと思います。
かぐやかコーディネーター
宮前 奈々子