人間や組織はこうあるべきという「理念」という言葉は受け継ぐことはできますが、
人間が存在するための基礎となるDNAというその組織の遺伝子基盤については、
言葉では簡単に受け継ぐことはできません。
これは、組織の運営に置いてどう受け取るべきでしょうか。
例えばある組織が「理念」という名の到達地点や動機を立ち上げ、社員に共有したとします。
しかし、社員は人それぞれです。保育園で言ったら、0歳児から6歳児まで様々です。
「今」を切り取った時、それを受け止められる人とそうじゃない人がいます。
また折角受け取っても「やらされる」という観点で受け取ることも多々あります。
そこで、視座を変えたのが、「DNA」という考え方のように感じます。
「場」や「習慣」や「自然」に「理念」を置き換えて、
自らが選択し、体験し気づけるように仕組みを再構築しているように思うのです。
それは、一斉保育から見守る保育への切り替えと同じように、
これもまた原理原則に沿った行動のように思います。
私たちはどうも「正解」や「ゴール」を共有しすぎ、そのための方法論ですら
伝えしすぎるきらいにありますが、この時代、あえて反対に振り切って、伝えるのではなく、
感じられる場、考えられる場を用意することにカグヤとしての意味と価値を感じます。
ミマモリスト 眞田 海