先日のブログでは「やりたいことをやって笑える」
という事について書きました。
しかし、きっとこういうこともあるでしょう。
「やりたいことはいっぱいあるけれど、
会社には誰かがやらないといけないことも沢山あって、、、
やりたいことばっかりやる人しかいなかったら、
選ばれなくて残った「やらなきゃいけない仕事」は誰がするんだ。」
と。
確かに、保育園だって配膳当番や朝の会や雑巾がけ、掃除など
皆でやらなきゃいけないことは色々あります。
(子どもたちからしたらやりたくないかどうかは全くの別問題ですが)
でも、なんでそれも皆でやるのか。
一つは、それ以外をいつも自分の好きな選択をさせてもらって
好きなように十分に遊んでいるからと言われていますね。
自らを十分に満足して遊んでいるから、我慢も人のいう事もしっかりと聴ける。
これは全くもって大人も同じことのように思います。
結局のところ、昨日の話に戻りますが、想いを持って十分に働いている人は
そうじゃないことも我慢して?!(人によってはそれも好きだったり)やれるものです。
しかし、子どもたちでも起きること。
それは「一部の人だけ不平等だ」と感じることがあった時。
習熟度別・選択制という形がしっかりと保障されていなくて、
この時間からこの時間までとか、何曜日だけとか、区切られてしまうと
その時間にできなかった子は不平等さを感じます。
いつも、ある一部の子ばっかりがやっていて、待ってあげる優しい子がいつも損をする。
それを見ているお友達が指摘して、、、それでよくケンカになりますよね (笑)
やっぱり子どもの世界は社会の縮図だと感じます。
きっと大人も大きな子どもなんだと思います(笑)
そして二つ目には、そこにいる大人たちの人数が少なかったり、
そこにいる人は同じ仕事が好きな傾向にあるのかもしれませんね。
保育園ではいろんなことが好きな人がいます。人数が多ければ多いほど
多様な「好き」が生まれます。
しかし、会社に於いて人数が少なく、会社全体のPJを見渡した時に、
これは誰がやるんだろう、誰もやりたくないな、、、なんて思うことが多い時は、
きっと、好きな仕事がみんな似通っているのかもしれません。
やりたくないなと思う仕事でも、誰かは好きかもしれません。
本当に皆にちゃんと聞いてみたでしょうか?!聞いてみたらもしかしたらいるかもしれません。
誰も好きにならない仕事は、本当に必要なのでしょうか?!
必要なければ無くすのも手です。刷新です。
「必要だ!」というのであれば、だれか外部に外注でも構わないので
それを好きな人にお願いするのも一つの手かもしれません。
どちらにしろ、様々な方法論は浮かび上がりますし、
それが正解かそうじゃないかはそれほど問題ではないように思います。
やってみることに意味があり、価値がるように思います。
しかし、どんなことをするにしても、
そこにいるみんながお互いのことを感謝しあったり、
助け合ったり、思いやり合う基本があってこそ。
それがなければ、何をしたって成功はしても「幸せ」にはならないですし、
子どもたちに残していきたい働き方にはなり得ません。
やさしい人間になりたいなぁ、と改めて思う理由がそこにあります。
ミマモリスト 眞田 海