今日は母の命日。
あれから1年とは、なんだかあっという間のようでもあり、今でも喪失感やどこか嘘みたいと思う感覚もありますが・・・
◆大好きな母
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それでもやっぱり1年前のその感覚とは全然違うことを感じます。
あの時は、急に訪れた母の死について「なんで?どうしてこんなことに?」という思いと、
「そんなこと考えても分からないことだから、とらわれないようにしよう」と、元気だった時とは全然違う、亡くなる前の母の姿を思い出すのも辛かったので、自分自身が持っていかれないためにも、深く考えないよう横に仮置きして前に進むというか、ただただ時間の流れに置いていかれないように流されるというか・・・
あの頃の記憶もどこかぼんやりとしていて、今思えばとにかく必死でいっぱいいっぱいだったようにも思いますが、
それが今はもう、家族でも「仕方ないよね」「なんだかね・・・」などと笑いながら言えるようにもなり、おかげさまで1年前に比べれば随分と立ち直ったかんじがします。
生きていく中では、こうした大切な人とのお別れを含め、辛いこと、いやなことなどを避けるのは難しいというか無理がありますが、そういうものを経験することで、人の痛みに共感できる優しさを持てるようになったり、立ち直る強さを持てるようになったりということもあるのかもしれません。
そしてなんと言っても、人生には限りがあり、生きていることはあたりまえでないのだと、以前にも増して感じるものがあります。
実際に昨日の一年祭でも、昨年と同じく親戚が揃い、残された私たちがこんなご時世の中で無事に1年間過ごせていることは本当にありがたいことだと感じました。
◆一年祭
https://www.caguya.co.jp/kokoro/36139.html
そう考えると、本当に生きているだけで尊いからこそ、自分も周りもその存在を大切に尊重し合いながら、まだ見ぬ自分の道をせっかくなら楽しく大事に歩んでいきたいと切に思います。
かぐやかコーディネーター
宮前 奈々子