昨日の違和感を見つめてみると、
自分と他人を分けていることに気づきます。
子どもに限らず、「同僚」「友人」に対しても
自分事とは思わずに他人事として見ている自分に気づきます。
相手は自分ではないので、自分の思い通りに行くわけではありません。
それでも、相手が自分だと思って共感し、
自分だったらどうするかと考えること、
そして、「相手を変えよう」と思うのではなく
ただただ真心で「相手の選択肢の一つとしての環境」となること。
それは、子どもの興味関心に共感し、ゾーンの一部に
環境を用意しておくことに似ているかもしれません。
選んでもらえるかどうかは重要ではなく、
子どもの発達と気持ちに共感し寄り添い、
その環境となることという「見守る姿勢」を
実践することが大事なのだと感じます。
いつも暖かい太陽のようなそんな存在として
心を寄せられる人になりたい。
心が願う自分自身に近づいていきたいと思います。
ミマモリスト
眞田 海