自分の信念を見つめていこうと、自分の日々の行動を振り返ってみています。
改めて「子ども主体」って何だろうかと考えます。
子どもの姿を見ていても、
中々子ども主体の関わりをしているかは分かりづらいですが、
自分自身の姿を見ていると、子ども主体の関わりをしているかどうかが
分かりやすいのだなと感じます。
自分の行動、発言の源が「志」から来ているのか
それとも「欲」から来ているのか。
志から来る行動は魂が震えますが
欲から来ている行動も、頭は何とかして志と繋げようと誤魔化します。
魂さえも震えているかのように錯覚させるのが頭だと感じます。
しかし、そんな時に感じるのは、
自分と周りとのギャップです。
自分はいかに良いことだと言っても、
周りが全くそう思っていなかったり、、、と
空気感が違うことがあります。
先日のお盆でも、体験しました。
やはり、「こころざし」は人々の心を刺して貫きますが、
「がよく」は自分の心と、同じ欲の人しか刺さないのだろうと改めて
学んだお盆となりました。
ミマモリスト
眞田 海