今日、お客様の園に小学校の先生方が20名ほど来られて
勉強会をしたそうです。
保育園の先生は、何人に対して先生が一人なのか。
どんな生活なのか。ひらがなはどれくらいの時期から教えるのか。
などなど、、そんなところから始まり、色々な事を
お聞きいただいたそうです。
その中で、ひらがなについて、小学校の先生からこんな話を聞いたそうです。
「ひらがなや文字を教え込まれてしまうと、
1年生の授業でつまらなくなってしまって、結局授業を楽しめなくなってしまうんです。」
「出来る限りの個別対応はしていても、最終的には2年生に上がる頃には、
教え込まれてこなかった子ども達と一緒のレベルになっちゃうんですよね。」
「むしろヘタに教え込まれてしまうと、
鉛筆の持ち方がひどいパターンが多くてそのほうが大変です。」
「持ち方を治すのはとても大変。むしろ、ひらがなや文字書きを習ってこなかった
子ども達の方が、ずっと上手な持ち方できれいな字を書けます。」
そうおっしゃる小学校の先生方は、その園の保育が技術や知識よりも
主体性や意欲、子ども同士が協力し合うこと、思いやりを大切にしているという事を知ると、
とても喜んだそうです。
良かれと思って教え込んだ知識や技術が、
実際には小学校の現状もあってか、
中々実らない現状があるという事もさることながら、、、
改めてですが、幼少期と言う人間の基礎となる大切な時期に
「子ども達が自ら何を培える環境を用意するのか。」
という事を考える機会となりました。
自ら培った力を「発達」と呼ぶとすると、
教えられて身に着いた知識や技術にはその「発達」というものが
ついているのだろうかと考えてしまいます。
私自身、社会に出ると教え込まれた知識や技術に沢山苦しみました。
その理由は、自らの心が必要と感じて、掴み取った実感や経験がないからです。
「なぜそれが必要なのか?」と問われても、その実感と経験がありません。
教科書通りの事は言うことは出来ても、人に共感することも出来なければ、
人を感化させたり、助けることも出来ません。出来るのは「評論」ばかりでした。
結局は、遠回りして一つ一つを体験し、学び直しをしてきましたが、
本当に果てしない道のりだと感じました。
自分自身と同じ経験を子ども達にさせたくないからこそ、
子ども達には「発達」を獲得してほしいと思います。
話はずれてしまいましたが、
小学校の先生は園の保育環境や考え方に
とても感動されたそうです。
園長先生は、自分達が目指している保育が間違っていないことを
実感すると共に、心がほっとされたそうです。
子ども主体の保育を目指す道は果てが見えるわけでもなく、
途中途中で不安になってしまいますが、いつも必ず、
こうやって誰かが支えてくれたり、応援してくれたりしていくのだと感じます。
目に見えない繋がりや見守りを、先生方と一緒に感じていきたいと思います。
ミマモリスト
眞田 海