先日、高菜のスープをいただきました。
その日収穫した高菜。
その土地の水を入れた鉄鍋に、根っこごとの高菜とちょっとの塩を加え、炭火でじっくり煮込んでいきます。
その間、部屋中に高菜の香りが広がり、食欲がそそられるの中、いよいよそのスープを口にすると・・・
高菜のだしがしっかりと出ていて、驚くほどの旨味が広がり、その味わい深さに感動!
シンプルなだけに高菜そのものの味が、しっかりと引き出されていました。
また、高菜サラダも塩とオリーブオイルでいただいたのですが、「さすがに生で食べるのはきついのでは・・・」と思いつつ、口にしてみると、高菜の甘味が感じられてこれまたビックリ!
高菜というと、漬物が定番ということもあり、ピリリとした辛みや後から広がる苦みが印象的でしたが、今回のスープやサラダによって、こんなにも旨味や甘味があることを知り、そのものの味を知るということは、そのものの徳を知ることと同じことだと感じました。
そしてそれは、あまり付け加えずにシンプルであればあるほどに見えやすくなるのかも・・・と今回思うものもあり、高菜に限らず人の徳でもものの徳でも同様に、うわべだったり今の状態からではなく、もともとあるそのものの徳を深堀り引き出そうとする眼差し、関わり、環境づくりを意識しながら、それぞれの徳が活かされ合い調和した社会に繋がる働きを大事にできたらと思います。
宮前 奈々子