今日はとある園の「聴福人」の皆さんの卒業式と、
新「聴福人」の皆さんへの説明会がありました。
聴福人・・・出来事や物事を”信じ聴くことで全てを福にしていく”人の事。
この聴福人を一年実践した先生方が卒業され、
次の代への交代となったのですが、、、
一年やっての感想・気づきを聴かせて頂くと、、
「みんなが話しやすい環境や雰囲気を作れるときと、
作れないときとでは、参加者の気づきの深さが全然違うことを体験したんです。
この環境づくりは保育にも通じることなのでこれからも大切にしていきたいです。」
「こんなに一年で、参加者も聴福人も変わっていくのだとびっくりした。
一年前では考えられなかったようなオープンさや心地の良さが今はある。
この最高な状態をもっと仕事に広げて行きたい」
「話すのが得意ではない自分でも、こうやって役に立てたし、
むしろ聴く方が好きだったので良かったです。」
など、他にも色々と福福しいお話を頂いたのですが、
同時に、振り返ると、その福に至るまでには沢山の試練があったことも教えて頂きました。
最初は、自分達自身も一円対話の取り組みを面倒だと思っていたこと。
参加者の皆はもっと面倒だと思っていたこと。
人の話を聴く暇があったら、自分達の悩みを解決したいと思っていたこと。
そんな想いの中、それでもまずはやってみようと自分達で決め、
聴福人を努めていく中で、参加者の皆とも何度も疑問をぶつけられては
話し合ったりという事があったこと。
それを全部乗り越えて来たから、今があるという事。
ただただ、幸せと言うのではなく、楽しいというのではなく、
その背景には沢山の試練とその度に先生方の心が試される機会だったのだと思います。
そんな一年間を振り返り、園長先生は
「本当にみんな、変わっていったよね。会議でも普段の保育でも
その変化が見て取られて、驚いちゃう!」
と、喜んでいらっしゃいました。
この一年、先生方がみんなで作り上げてきた絆と今の幸せ。
そして、これからの一年でまた積み上げていく絆と幸せ。
どちらも尊く、素敵なことですが、、、
先生方の豊かな成長をただ傍観していてはいけません。
何よりもまず、私自身がその豊かさの瞬間に心を寄せているか。
先生たちと一緒に歩んでいるか。
自分の軸足がどこに置かれているのか。
いつもそのことを大切に、自身を省みて行きたいと思います。
ミマモリスト
眞田 海