ミマモリストの実践

ミマモリング=心を寄せること。

カグヤでは一緒に働き、一緒に生きる中で、お互いに心を寄せ、思いやることの大切さと、そこで生まれる感動や豊かさを大切にしたいと思っています。ただ仕事をするのではなく、自分の心の環境がそのまま仕事に表れるからこそ、「心を寄せること」を大切にしていきたい。そんな「ミマモリングを実践していく人々=ミマモリスト」の取り組みをご紹介いたします。

2016/07/26

「風当り」

今日はお客様の理念取材に当主と一緒に伺いました。

お話をお聞かせ頂く中で現園長と副園長からお聞きした、
印象的だった言葉がありました。

それは、お父様がまだ自分達が若かった時に亡くなられた時の事でした。

「亡くなられる間の2年ほどは寝たきりだったので
ほとんどの保育園業務は自分達でやっていたんですね。
だから亡くなった後も、そんなに変わらないだろうと思っていたのに、
実際に亡くなってみたら、急に風当たりが強くなったんです。」

と仰います。

「実は、寝たきりでもずっとその存在が見守ってくれていたんですね」

そう体験から仰られました。

そのお話をお聞きした時、私も同じ体験があることに気付きました。
私も大学生時代に父親を亡くしました。

亡くなる2年前から余命を聴いていましたし、
覚悟は出来ていたはずですが、実際に亡くなると急に
世の中の風に吹かれている自覚を感じました。

「父親に変わって家族を守らなければ」

そう感じたのです。

そして就職活動を通じ、同時に世間の風を感じ、
自分自身の経験の無さ、無知に不安や恐怖を覚えました。

当時の私は何か事業を背負っていたわけではありませんし、
先生方が感じた「風当り」とはまた程度も違いますが、
感じたのはやはり、自分という、ろうそくの灯を
父親はいつも見守ってくれていたのだという事です。

風よけがなくなった時、
自分のろうそくの灯は自分が守らなければなりません。

実際には家族を守るなんてほど遠い状態ですので、
まずは働き、自立するところからでしたが、、、

これは今の自分の職場でも同じことなのかもしれません。

自分で燃やしているように見えて、
実際には多くの方々や会社、お客様から
見守られて、風当り強くなく働けているのです。

そんな見守りに甘えず、自分がその風よけになる覚悟があるか。

風に左右されず、自分で燃えると決めているか。

生き方と働き方を一致させている方々は皆さん、そこに選択肢など持たず、
燃えると決め、風よけとなると決めているのだと感じました。

そしてそれを楽しんでいる経営者の方々を見ていると、
本当に勉強になります。

風に当たることが当たり前であること。
その当たり前を楽しむことが人生の醍醐味なのだと
そう仰る先人の皆様の豊かさを自分自身も味わっていきたいと思います。

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ミマモリスト
眞田 海