ミマモリストの実践

ミマモリング=心を寄せること。

カグヤでは一緒に働き、一緒に生きる中で、お互いに心を寄せ、思いやることの大切さと、そこで生まれる感動や豊かさを大切にしたいと思っています。ただ仕事をするのではなく、自分の心の環境がそのまま仕事に表れるからこそ、「心を寄せること」を大切にしていきたい。そんな「ミマモリングを実践していく人々=ミマモリスト」の取り組みをご紹介いたします。

2016/10/13

「克服」

子どもの権利条約では「一人ひとりみんな違っていい」という事があります。

しかし、大人になっていくにつれ、社会に出るにつれ、
その個性を生かすマネージメント力よりも、
画一的、均一的、効率的なマネージメント力が用いられ、
「違わない方がいい」という暗黙知が生まれつつあり、
結果、働く人々の個性に併せて様々な問題が、
今の社会では起きているように感じます。

そんな中、先日は北海道にあるべてるの家を見学させて頂き、
一人ひとりの個性を活かしあえる仕組みや取り組みとは何か。
それも、強みを活かすのではなく、弱さを絆に変えていく仕組みとは何かという事の
片鱗に触れさせていただきました。

人は得意な事もあれば、苦手な事もありますが、
苦手な事を克服するという言葉にも
様々なとらえ方があるかと思います。

一つはその苦手な事に取り組み、訓練や練習を重ねて
苦手ではなくなるまで磨き続けるという事ですが、
これは、訓練で変えられるもの、技術や知識などに限る方法だと感じます。

例えば、性格や性別など、個性と呼ばれるものは
基本的には訓練や練習でも変えられるものではないものです。
そこから来る苦手。
その場合の克服とは、「苦手」を「悪いことにしない」という事だと
学びました。

そもそも「苦手」という評価は何かと比べるから出てくるのかもしれません。
ものごとをあるがままに捉えてみるとそれは、気にならなくなるように感じます。

そして変えられるものですら、
そもそも、一人ひとり違ってよいという理念から考える時、
本人が自らの意欲や夢、志から選択していくことが前提であることを感じます。

そんな中で、べてるの家での当事者研究にかかれた進め方がHPにはこう書かれています。

<当事者研究の進められ方>
 当事者研究には、それを培ってきた理念がある。それが研究活動の土台になり進められていく。
次に紹介する当事者研究の進め方を「出来事(苦労)のパターンや意味を見極める展開」に即して紹介したい。

当事者研究は、次の①から⑤の要素を押さえながら進められることが多い。

①何がどうなっているのか
繰り返し起きている出来事のパターン、起きている「問題」の意味の見極めと吟味する。
「問題」の良いところや前向きな効果や意味を考える。すでに解消された「困難」や「成果」も、
それがなぜ解消されたのか、どんな「自分の助け方」が発揮されたのかを取り上げることもある。
この場面で、ロールプレイや、図や絵などを用いる。

②それにどう対処してきたのか
起きている「問題」をどのように受け止め、対処してきたのか。
爆発や強迫的な行為も、「自分の助け方」の一つとして受け止める。

③その結果や満足度は?
ある出来事に対して取ってきた対応-例えば「爆発」-の満足度、効果を確認し、
満足度が低い場合はそれに変わるあらたな手立てを一緒に探る。

④従来の「自分の助け方」にかわる「新しい自分の助け方」を検討し、具体的に、
どのような手立てを、どのようなタイミングで用いればいいのかを実践する。必要な場合は、練習をする。

⑤その結果、効果を見きわめて、次の対処を考える

以上が、浦河などで多く行われている当事者研究の展開例である。
ただし、上記は当事者研究の柱となる構成内容であり、手順ではないことに留意する必要がある。

これを読んで感じること、
それは自分の弱さやストレスから生まれた行為そのものを
「自分の助け方」の一つとして受け止めているところです。

悪いものと受け取らず、その個性をまずそのまま受け止めてみること。
そして、本人がもっと満足しやすい爆発の仕方は何かを考えていく事。

これを読むまでの自分は
爆発させないようにすることが自分の責任であると思い、
どうしたら爆発しないかという事にしか意識は行きませんでした。

爆発させないように努力するという修練と
爆発すること自体の効果や価値を上げていく努力は
全く別のベクトルであると感じます。

どちらかだけで良いわけでなく、両方が大切なのかもしれません。

まだまだ分からないことばかりで
何もわかっていませんが、触れさせていただいた中で感じる
新しい価値観を追求していき、理念の実現に向かっていきたいと思います。

ミマモリスト
眞田 海