ミマモリストの実践

ミマモリング=心を寄せること。

カグヤでは一緒に働き、一緒に生きる中で、お互いに心を寄せ、思いやることの大切さと、そこで生まれる感動や豊かさを大切にしたいと思っています。ただ仕事をするのではなく、自分の心の環境がそのまま仕事に表れるからこそ、「心を寄せること」を大切にしていきたい。そんな「ミマモリングを実践していく人々=ミマモリスト」の取り組みをご紹介いたします。

2016/10/21

「地域への役割」

昨日、奈良駅近くの園さまでの導入研修を終え、
会食させて頂きホテルに戻ると、ホテルから
近隣の銭湯のチケットを頂きました。

奈良駅周辺には10近くもの銭湯が今もやっており、
どれもが、最近の温泉やスーパー銭湯などとは違い、
とても鄙びた古い銭湯です。

私自身、小さいころから家には風呂はなく、
近くの銭湯に通う生活をしていたため、
とても懐かしくなり、お邪魔させて頂くこととしました。

古の都の香りがする古民家街を抜け、
銭湯の暖簾をくぐり、チケットを番頭さんにわたしていると、

「おい、お兄ちゃん、東京の人かい?!」
と、マッサージチェアに座ったおじいさんに声を掛けられました。

そうですと答えると

「ほれやっぱりそうだよ、母ちゃん、やっぱりなぁ!」

と、仰います。

どうやらチケットをもってここに来るひとの
多くが東京の出身の人らしいのです。

その後、風呂に入っていると、
店主であるそのおじいちゃんも入ってきてくれ、、、、

一緒に湯に浸かることに(笑)

どんな仕事をしてるんだとか、
何歳なんだとか、若く見えるがなんでだとか、
明日もがんばれとか、、、色々と話して下さいました。

思えば子どもの頃、銭湯のおじさんにもおばさんにも、
その家のお兄さんにも、皆が番頭に立っては、
お金を払うだけでなく、そんな風に自分に話しかけてくれていたことを
しみじみと思い出しました。

銭湯は地域の方々の交流の場でもあり、
暮らしの一部であり、見守りの場でもあったように思います。

私が毎日お世話になった銭湯は
地域の商店街が廃れ、住民たちの交流も薄れ、
数年前に潰してしまい、住居となってしまいました。

そこに連綿と紡がれていた地域としての暮らしの場が
なくなるということもそうですが、
自分が暮らしてきた場がなくなるという事も
とても寂しいことだと感じたことを思い出します。

今もこうして、奈良の街では地域で暮らし、
見守り合う場が存続しているという事自体が、
大変な価値であるように感じます。

唯の商業ではなく、
地域に対して役割を担っている仕事であること。
その大切さを改めて感じます。

自分自身の仕事も、社業を通じて社会と、地域と、
日本、子ども達に対する役割を担い、働くことを
肝に銘じていきたいと感じます。

ミマモリスト
眞田 海