先日、仲間がつくってきてくれた
栗の渋皮煮。
沢山つくってきてくれて、
社内に保存していたのですが、
昨日、カビが生えているのを発見!
「カビをとれば食べられるのでは?」と、
仲間と淡い期待をしつつ、
瓶のふたを開けてみたものの、
いたんだ臭いがして・・・
残念ながら、
結局「さよなら」することに。
ついつい瓶に入っていたので、
梅干しなどと同じく発酵食品と勘違いし、
安心してましたが、
よくよく考えたら、
冷蔵保存が必要だったのに、
常温保存していたため、
なんとも悲しい結果になってしまいました・・・。
更に、幸か不幸か、
自分が捨てるお役目をいただいたのですが、
栗にも、つくってくれた仲間にも
「ごめんなさい」とお詫びをしつつ、
栗を生ごみとして捨て、
空になった瓶を洗いながら、
どうにもこうにも、心がいたみました。
そして以前、会社の冷蔵庫を掃除し、
賞味期限が過ぎた調味料や、
冷凍庫に保存されていた食べ物などを捨てる時も
同じような感情になったことを思い出しました。
この「食べ物を捨てる」というのは、
生き物として考えてみても、
かなり不自然な行動だと思います。
勿論、好きで捨てているわけでもなく、
できれば避けたい行動ですが、
やはり、飽食の時代ゆえか、
他の動物たちは、
命を繋ぐ食べ物を得るのに必死な中、
いろんなことに麻痺してる自分がいます。
大量生産、大量消費の先にあるのは、
大量廃棄。
そして「捨てない」ためには、
やっぱりその前にある
「買う」「つくる」などを
見直す必要が大きいと感じます。
ついつい、少ないよりは多い方がいい
足りないよりは余った方がいい・・・と
思いがちな時代ですが、
食べる分、必要な分を、買う、つくる・・・など、
少なくとも、自分で選択できるものに関しては、
意識していきたいものです。
社会問題で片付けてしまえば、
そこで終わってしまいそうですが、
実際に社会をつくっているのは、
私たち一人ひとりだからこそ、
「未来や子どもたちにとってどうなのか?」と、
自分の一つひとつの選択を大事にし、
できるところとして、
足元にある自分自身の生き方、暮らし方を
見直していきたいです。
かぐやかコーディネーター
宮前 奈々子