子どもたちの育ちを見ていると、
とても嬉しくなると同時に、
今熱中している事をどうしたらゾーン状態に近づけられるか。
そして、次はどんな興味関心に移っていくのかという想いを抱きます。
そして、次の発達課題が見えてくると、
そこに「期待」を持つ自分がいます。
その時、自ら発達できるような環境に置き換えられる時と、
教え込んだり、読み聞かせたり、体験させたりと、
直接的に行ってしまう時があります。
それは子どもに対してだけでなく、
誰に対しても同じだと感じます。
やはり振り返ると、
「期待」の矢印を自分に向けられる時と
相手に向けてしまう時があります。
それは、期待の矢印を自分に向けるのは、
自分が変わらなくてはならないから大変だからだと感じます。
以前、パートナーの方から、
「相手に向けて発信しているもの」と「相手の為に発信しているもの」
は明らかに違うとありました。
それは、やはり発信している自分が変わり続けているだろうか。
それとも、相手を変えよう、感化させよう、気付いて貰おうとして発信しているか。
その違いなのだと感じます。
そしてそれはやはり「感謝」の欠如だと自分を振り返ると感じます。
相手や周りを変えようとするのは頂いている今に不満をいうようなこと。
それは結局、相手を信じず、育ちの邪魔をしていく事に繋がるのだと痛感します。
「期待」の感情は矛先を間違うと
とても自己中心的になってしまうからこそ、
今を有難くまるごと受け取っていきたいと思います。
ミマモリスト
眞田 海