聴福庵にて、古民家から暮らしを学んでいますが、
昔の人々の暮らしを知るほどに、
様々な事を学ぶ機会となっています。
先日、古民家とは関係ありませんが、
保険について話を聴く機会がありました。
親が大きな病気になった時、万が一亡くなった時、
子どもたちの夢をあきらめさせないためにも
保険に入っていた方が子どもたちの為。
大きくなくても、病気になったら、
治療費や入院費を支払ってくれるから安心。
そう書かれるパンフレットを見ると、
自分が病に倒れた時、または不慮の事故があった時、
遺された家族の事を想像するほどに、
なるほどな、確かに大切な事だと改めて感じます。
そしてふと、昔の人々はどんなふうに
保険を掛けていたのだろうかと不思議に思い、
調べてみると、、、
そもそも、現代のような保険制度が確立されたのは、
明治以降、福沢諭吉によって、「相互扶助の精神」が紹介されてとあります。
しかし、命講や無尽講など、江戸時代からすでにあったとされています。
現在の保険制度との大きな違いを調べてみると、
そもそもの病気に対する捉え方に随分と違いが出ているようです。
昔は、病気には必ず「因果」があるという精神文化が主流だったようです。
例えば、風邪になった場合、医者はその患者が風邪になる「因果」を見つけます。
すなわち、その人の「暮らし」を改善することに重きが置かれていたようです。
原因が変わらなければ、病は治らないからこそ、医療の主流は「暮らし」や「生き方」を
改善するように、起床時間や食事、温泉や寺社仏閣への参拝の習慣などを
心も身体も暮らしも生き方もひっくるめてみていたようです。
しかし現在の社会を見ると、その人の「暮らし」や「生き方」にはメスを入れず、
「風邪薬」や「痛み止め」など症状を和らげたり整えたり、回復を助ける薬を
処方することで処方が完了することも少なくありません。
これでは、病の元となっている「暮らし」や「生き方」という習慣自体が
変わらない為、また病が起きてしまう悪循環が始まります。
昔はこれほどに社会が成熟していないからこそ、
治療と言えば根源治療が主流なので、
自分の今の生活習慣や暮らしを見直すことは
当然だったわけですが、今は生き方を変えずとも、
一時的には病状を薬や手術で回復させることができる時代です。
だからこそ、保険の在り方も時代に併せて変化してきているようです。
多様化した社会だからこそ、様々な生き方があるからこそ、
「子どもたちに残したい生き方とはどんな生き方なのか」と思う時、
それも様々なのだと思います。
そんな中で今自分自身が頂いている環境や機会を目にしてみると、
聴福庵を通して「暮らし」を再生する機会を頂いているわけですから、
無駄にせず、実践体験から学び、深めていきたいと思います。
ミマモリスト
眞田 海