見守る保育を実践するにあたり、
「小学校に上がった時に大丈夫なのかが不安」
と仰る方々の声を良く耳にします。
そもそもを辿れば、
・年齢ではなく発達に沿った保育
・先生が教え込むのではなく、遊びなどの環境を通じて発達を保証する保育
・大人が子どもの行動を決めるのではなく、子どもが決められる環境を作っていく保育
というのは、指針に沿ったものであり、
特別な事ではありませんが、
どこか「好きな事を選択していては、小学校ではやっていけないのでは」
というような不安があるのかもしれません。
それは小学校は授業や時間割があり、
授業であり、教え込みであり、年齢別であるからと
感じているからなのかもしれません。
文部科学省にある「小学校の目的と目標」を見てみると、
〔小学校の目的〕
第十七条 小学校は、心身の発達に応じて、初等普通教育を施すことを目的とする。
〔小学校教育の目標〕
第十八条 小学校における教育については、前条の目的を実現するために、次の各号に掲げる目標の達成に努めなければならない。
一 学校内外の社会生活の経験に基き、人間相互の関係について、正しい理解と協同、自主及び自律の精神を養うこと。
二 郷土及び国家の現状と伝統について、正しい理解に導き、進んで国際協調の精神を養うこと。
三 日常生活に必要な衣、食、住、産業等について、基礎的な理解と技能を養うこと。
四 日常生活に必要な国語を、正しく理解し、使用する能力を養うこと。
五 日常生活に必要な数量的な関係を、正しく理解し、処理する能力を養うこと。
六 日常生活における自然現象を科学的に観察し、処理する能力を養うこと。
七 健康、安全で幸福な生活のために必要な習慣を養い、心身の調和的発達を図ること。
八 生活を明るく豊かにする音楽、美術、文芸等について、基礎的な理解と技能を養うこと。
この目的と目標を読んでみてから、
小学校に入学後の子どもの変化を振り返ると、
なるほどと思う事があります。
学校外や休日の時間の使い方も、「~~ちゃんと何時に待ち合わせの約束をしたんだー」
「お友達を招待してクリスマス会をやりたいんだけど。。。」など
どんどんと自分で人間関係の輪を広げていくようになったり、
勉強方法も、それぞれの教科に応じて、この時間でやりたい、ドリルみたいなのでやりたい
好きな本を好きなだけ読みたい、、と
能力を磨くことに喜びと楽しみを持ちはじめるようになったり、、
自分自身の振り返りも、毎日の日記に綴っていたり、、
どれもこれもが子ども自ら選択し、始めている事ですが、
そんな姿を見るたびに、こういった「自らが選択していく習慣」を
作ってくれたのは、「見守る保育」であったように感じます。
「好きな事しか選択しない」のではなく
「物事を自分の好きなようにやりやすいように選択していく」
これは、私自身が子どもから見習い、真似ていくべき習慣です。
「小学校に入ってから心配」なのではなく、
「小学校に入っても安心」なのが見守る保育なのではないかと、
改めて感じています。
ミマモリスト
眞田 海