自分の人生を想う時、
自分の思い通りに生きようと思ったところで、
願ったところへ行く事もありませんし、
思った通りにも進みません。
唯々あるのは、思った以上の試練や喜び。
願った以上のご縁や導きです。
そう思うと、自分で決められることと言えば、
起きた出来事をどのように受け取り、
意味づけるかという事のように思います。
頂いているものに文句を言うか。感謝を言うか。
不平不満を感じながら生きるのか。満足と満ち足りて生きるのか。
子どもたちにも、子ども自身が願った通りに
事が運ぶように見守ることよりも、
子ども自身が選んだ道にどんなことがあっても、
その意味を一緒に感じられるように見守ることなのかもしれません。
子どもに起きることも、お客様に起きることも、仲間に起きることも、
良い悪いという価値観で観るのではなく、
その意味を一緒に感じられる為には、
自分自身がまずそういう状態であることはもちろん、
その人以上にその人のことを考える覚悟と姿勢が必要であることを
今日は教えて頂きました。
ここで文章で書くことは出来ますが、
実際はまだまだ何もわからず、何もできず、
右も左も分からないような状態です。
これに得意不得意があるのでしょうか。
それとも覚悟の問題でしょうか。
どちらにしろ、関係はなく、
どう受け取るかは自分自身の問題です。
まずは、
自分を見つめ、受け入れ、しっかりと腹に落ちるまで、
信じて待っていきたいと思います。
ミマモリスト
眞田 海