こんにちは。大河内です。
カグヤでは毎週月曜日に、
社内に飾る花を届けてもらっています。
いつも花を飾ってくれている女性クルーが
出張中だったり、お休みをしていましたので
先日は、慣れない私が飾ってみることに。
無骨というか、がさつというか…
葉っぱがワサワサしていますが、、
なんとか見られる感じにはなったかと(^^;
そして夜、退社する際に
もう一度飾った花をみてみると、
昼前に届けられた際には蕾だった
白い花がだいぶ開きかけていて、
その変化する姿に驚くとともに
試行錯誤して自分で飾ってみたからこそ
まるで花が応えてくれたかのような
不思議な嬉しさが感じられました。
「もちろん皆のためでもあるけれど
花を飾ると自分がご機嫌になれるから」
そんなことを女性クルーが言っていましたが
やってみて初めて、その言葉の意味が
実際に感じられたように思います。
そして翌日、その白い芍薬の花は
こんなにも美しく咲いてくれました。
『立てば芍薬 座れば牡丹 歩く姿は百合の花』
という言葉があるように、
最初は一つの小さな目立たない蕾でしたが、
一本でも凛として咲いている、その美しさは
花の魅力を大いに伝えてくれています。
受け取った時にはよくわからず
「この小さな蕾は、咲くのだろうか?」
と疑問に思っていたのですが
実際に、枝が切られた後でも
こんな風に大きな花を咲かせている姿を
見るとその生命力に驚かされます。
花は「咲いている」その時も勿論ですが
『咲きゆくプロセス(経過)』に、むしろ
本物の美しさがあるように感じました。
何事も、うわべの「結果」だけではなく
寄り添いを通してその「プロセス」の方に
共感できる豊かさを大事にしたいと思います。
ビジョンリスナー
大河内 盛友