こんにちは。大河内です。
『自分たちの身のまわりにある環境や仕組みの価値を
どれだけ自分たちで実感しているか?』
そんなことを、先日ある機会から思うことがありました。
これは、裏を返せば
『どれだけ、わかった気にならず深め続けられているか?』
なのだと、その機会の中で感じたのですが…
例えば日々の一円対話の振り返りでも、
自分自身は今までの中で、とても清々しい気持ちになれて
学びの深かった一円対話を『ひとつ基準』 と考えて、
そこから、今回は 『よかった』、『まあまあ』、『ぼろぼろ』…と
無意識のうちに判断していたような気がします。
ですが、その 『ひとつの基準』 というものが実にあやしく
そこを見ていたら、それ以上の深まりはなく、さらにはか
それ以上へ行こうとする探求心も挑戦もなくなっていきます。
「わからないはず、もっと深い意味があるはず」
聴福人の大事な姿勢ですが、これは一つひとつの実践、
身のまわりの環境、仕組みについても言えるのだと感じました。
カグヤの理念を支える数々のこだわりの中に
『わかった気にならないこと』というものがありますが
深さには限界がなく、もっと物事には深さがあることを忘れず
引き続き、あるものを見直し、磨いていきたいと思います。
ビジョンリスナー
大河内 盛友