こんにちは。大河内です。
3月は全国的に卒園シーズンですね。
先生方にとって、この卒園式とは
「ひとつの節目」でもあるのだと思いますが、
先日、この「節目」というものについて
「竹は節目を作りながら、強くしなやかになる」
という例え話がありました。
子どもたちにとっても、先生方にとっても
この出会いと別れは人生の中での大切な節目。
私自身もそのような「節目」を作りながら
強くしなやかに成長していきたいと思いますし
そのような機会を頂けることがまた有難いです。
私はいつも子どもたちの笑顔を見ていると
自分の心が例えどのような状態であろうとも、
「大切なもの」 を思い出させてもらえます。
きっとこの時期、先生方も卒園式を迎え
「なぜ、保育士になったのか」というような初心を
思い返していらっしゃるのではないでしょうか。
今、私はカグヤへと転職(転生?)して
子どもたちの為の志事をさせて頂いていますが、
そのきっかけの一つになったのは、
娘が生まれて親にさせていただいたことでした。
それは、自分の残りの人生を、
どのように生きるのか、初めて本気で考えた
大きな節目だったと言えるのかもしれません。
なぜなら、作者不詳の次の詩にもあるように…
「親」になる、もっといえば「大人」である
ということに向き合うことになったからでした。
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『私が先生になったとき』 (作者不詳)
私が先生になったとき
自分が真理から眼をそむけて
子どもたちに 本当のことが語れるのか
私が先生になったとき
自分が未来から眼をそむけて
子どもたちに 明日のことが語れるのか
私が先生になったとき
自分が理想を持たないで
子どもたちに どうして夢を語れるのか
私が先生になったとき
自分に誇りを持たないで
子どもたちに 胸を張れと言えるのか
私が先生になったとき
自分がスクラムの外にいて
子どもたちに 仲良くしろと言えるのか
私が先生になったとき
ひとり手を汚さず自分の腕を組んで
子どもたちに がんばれがんばれと言えるのか
私が先生になったとき
自分のたたかいから眼をそむけて
子どもたちに 勇気をだせと言えるのか
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とても、このような「生き方」が出来ているとは
言えませんし、むしろ目指すものが定まるほど
真逆な自分が見えてくることも多いのですが…
自分一人の人生ではないからこそ、
ずっと生き方を高めていくのだということだけは
自分の初心として揺らぐことはありません。
純粋な子どもたちから、学び励まされながら
それでも「子どもたちのため」と決めた生き方を
仲間と共に大事にしていきたいと思います。
ビジョンリスナー
大河内 盛友