今日のカグヤクルー日記

クルーそれぞれの理念の実践や気付きを交代で掲載しています。

2016/11/24

「時間の価値」

こんにちは。女将です。

姉は営業という職種柄か、
時間にとても厳しい人です。
以前、仕事で待ち合わせに遅れたとき
「忙しいことを言い訳にするな!」と
こっぴどく叱られたことが
以後の時間に対する私の指針となりました。

当時、私が勤めるホテルの予約センターでは
終業時間ぴったりまでが
お客様からの電話の受付け時間となっていて、
そのため、定時に退社できることなど
滅多にありませんでした。

その日は昼食もままならないほど電話が多く、
その上、定時間際に団体のお客様の
宴会の手配が入ってしまったため
待ち合わせに遅刻することになったわけですが、
遅れていった私への姉の第一声が
先に書いたその言葉でした。

“どんなに多忙だろうと「仕事」はただの言い訳で
時間に遅れるかどうかはその人の心がけひとつ”
と言うのが姉の信条のようでした。
その時は
“電話なんて相手があることなのに、そんな簡単にいくか!”
と心の中で反発しましたが、
今思えば確かに、待ち合わせまでの自分の行動には
反省の余地が十分にあったと思います。

あの日は行楽シーズン真っ只中の金曜日。
問い合わせの電話が普段より多くなることも、
旅行会社や予約しているお客様から
変更やリクエストなど、細々とした手配が入ることも
容易く予測できたはずなのです。
仮に予想を上回っていたとしても
もっと早い段階で、姉に連絡して
待ち合わせ時間を変えてもらえばよかったのです。
それをしなかったのは、私が甘えていたせいだと思います。

1分、1秒という時間の長さは
すべてのひとに平等です。
でもその価値は決して平等 ではないことを
その後、知ることになりました。
他人の時間の価値を図るのはとても難しいことです。

数年前、両親が共にホスピスに入院していた2ヶ月間、
私たち姉妹も病院に寝泊まりし
家族4人で一緒の時間を過ごしました。
あの時ほど1分、1秒を
愛おしく感じたことはありません。

時間の長さとは、すなわち命の長さだと思うのです。
だから相手の時間を使うということは
その間、相手の命を拝借するということになります。
それは他人の時間に限ったことではありません。
自分に対しても言えることで、
日々過ごすということは
その分、命を費やすことだと思うのです。
だからこそ、瞬間瞬間を
本気で生きなければならないと思います。
決して悔いのないよう
全力を尽くさなければならないと思います。
自分に対しても、他人に対しても、
そうでなければいけないと思うのです。

ミッションパート
佐藤真樹