昔、オリンポスの神々が集まり
「“幸せになる秘訣”をどこに隠したら、
人間はそれを見つけた時にもっとも感謝するか」
を話し合った。
「高い山の上がいい」
「いや、深い海の底だ」
「それよりも地中深く埋めるのがいい」
と議論百出。
すると、ひとりの神が
「人間の心の奥深いところに隠すのが一番だ」
と言い、全員がその意見に賛成した。
こんにちは、女将です。
これは致知出版社さまよりいただいた小冊子にあった逸話です。
読みながら、ふと過去の自分が思い出されました。
以前の私は、心の奥深くに隠された
“幸せになる秘訣”をずっと見つけられずにいました。
その頃の私は自分が大嫌いでした。
それと同時に、そんな自分を
みんなに認めてほしいと願っていました。
自分自身が自分を認めようとしないくせにです。
素直になれない私の心は
いつどんなときも「平気」を装って、
周囲に不満ばかりを募らせていました。
そして他人に自分がどう思われているか
自分の言動で相手の感情を図っていました。
そのくせ本当のところを知るのが怖くて
相手からの評価を勝手に自己完結させ、
上辺だけの付き合いを重ねていました。
それでも歳とともに色々な経験を重ね、
心から敬愛できる素晴らしい友人たちに恵まれ
毎日を感謝するようになったとき
あることを感じるようになりました。
こんな私のために、この友人たちは
いつでも本気で心を傾けてくれる。
なのに自分が自分自身を卑下していたら、
これほど私を受け入れてくれた彼らに申し訳なさすぎる!
そう思ったらあることに気がついたのです。
「“自分が嫌い”って、何と比べて嫌いなんだ?」
好き嫌い、上手下手、美味しい不味い・・・
これらすべて自分の中に基準となるものがあって
それと比べて好きとか嫌いとか、大きいとか小さい
などと判断しているだけじゃないのだろうか?
それは所謂、自分の尺度で作り上げたモノサシ。
ならそのモノサシの目盛りを消してしまったらどうだろう。
そう考えたら急に気持ちが軽くなりました。
すると不思議なことに
今まで苛立ちを覚えた他人の行動が
摩訶不思議なパフォーマンスに見えてきました。
理不尽に感じた辛辣な言葉が
面白く聞こえてきました。
そして大嫌いだった自分自身が
楽しい生き物に感じられるようになりました。
たぶん私は、神様が隠した“幸せになる秘訣”を
ようやく見つけたのだと思います。
そしてもうひとつ見つけたもの。
たくさんの喜びです。
喜びがあるということは幸せだということ。
幸せだということは感謝に溢れているということ。
感謝に溢れているということは喜びもまた溢れているということ。
結局は感謝と幸せ、そして喜びは一体なのだろうと思います。
“幸せになる秘訣”を見つけた
あの時から決めたことがあります。
自分が幸せだということを自覚することです。
例え今日が昨日と同じ日常だったとしても
泣けるほど残念なことがあったとしても
明日には笑える自分がいるなら
きっと幸せなのです。
そして幸せであることに感謝できることもまた
幸せなのだと思います。
ミッションパート
佐藤真樹