自然から学ぶ

私たちの復興「自分たちに出来る事をする」

カグヤでは2011年の東日本震災から、自分たちなりに復興を始めました。それは、「自然から学び、自然に沿った本来的な生き方を実践する」こと。これまでの人間都合の生き方を改め、自然のつながりの中で生きる取り組みをご紹介いたします。

2017/08/22

見守る生き方

今日は「GTサミット」2日目。

全国のギビングツリーの活動、実践など、
発表がある中で、

来年2月に、ギビングツリー代表の藤森先生が、
シンガポールで「見守る保育」について講演を行う

・・・という驚きのお話がありました。

シンガポールで保育園を150ヶ所ほど
持っている財団法人に呼ばれ、
藤森先生が講演をするそうで、

教育先進国ともいわれるシンガポールなだけに、

日本からシンガポールの教育を学びに行く方は
多いと思いますが、

反対にそんな国から
「見守る保育」が注目されてるということは、
なんとも嬉しいことですね。

昨日の意見交換会でも、
何人かの園長先生がお話をしていましたが、

日本では「見守る保育」というと、
「あぁ、ただ見てるだけの保育でしょ」と
言われてしまうことが多いそうです。

でも、ただ見てるだけなら
「見る保育」といってもいいですし、

そこに「守」という字が入って
「見守る」となっているのですから、

勿論、必要であれば先生が介入したり
手をかけて守るわけで・・・

更には、たとえよく見ていても、
不信の眼差しで見る「見張る」とも違うのですから、

「見守る」には何より「信じる」などの
目には見えない精神的なあたたかなものが
含まれているかどうかが、大事なように感じます。

またここで言う「信じる」というのは、

「子どもが失敗しないから大丈夫」
・・・と信じるようなものではなく、

「失敗しても大丈夫。そこから学べる子だから。」
・・・というように、
子どもの存在を丸ごと信じているようなもの。

そしてこの「見守る」を
「生き方」として見ていくと、

「信じる」相手は、
決して「子ども」だけでなく「大人」も、

もっと言えば「他人」だけでなく
「自分自身」も含まれるはず。

日本人の方が、かえって日本語を理解することが
難しくなってきたのかも・・・という話も出てましたが、

言葉が単に理解できなくなったわけではなく、

身近に、日本人らしい心のあり方や生き方などが
失われてきたことで、

昔の方々に比べてそのようなものに対しての理解が、
圧倒的に難しくなってきたのかもしれません。

見守る、信じる・・・という生き方は、
自分自身の刷り込みも見えてくるので、
なかなか簡単ではないのですが、

だからこそ、磨きがいがあるものですし、
子ども達にも残していきたいものだと感じています。

かぐやかコーディネーター
宮前 奈々子