昨日は「二木屋」ご主人でもある
小林玖仁男さまとお会いする機会を頂きました。
ちょうど先月、
埼玉にある「二木屋」さんにもお伺いした際、
「十三夜」と「ハロウィン」の室礼を目にし、
その和と洋が調和した雰囲気や、
ダイナミックさ、遊び心に驚いた記憶も新しいのですが・・・
◆遊び心で http://www.caguya.co.jp/wp2/farmblog/shitsurai/p7913/
昨日、小林さまとのお話を通して、
自分自身の中で、何か整理されるものがありました。
それは、「混ざる」ことは自然であり、
自分自身は、それを望んでいるということ。
今ちょうど、室礼や年中行事、
古民家再生、祭り部など・・・
日本文化を深めている最中ですが、
それは、日本で脈々と継承されてきた
伝統文化が途絶えてしまわぬよう、
子どもたちへと伝承したいから。
そして、もっと言えば、
その受け継がれているものの「本来の意味」や
伝統を通して見える日本人の持つ
「和の精神」のようなものを残し、
伝承したいという思いが強いのかもしれません。
しかし、その「日本文化」を深めていくうちに、
「こうでないとダメなのかも」
「それは日本文化とは違う」など、
何がいいか悪いか、正解かどうか・・・のように、
本末転倒な考えに陥ったり、
狭い世界にのまれてしまうことも・・・^^;
そんなこともあり、実際に先月「二木屋」さんで
西洋からきた「ハロウィン」の室礼が
妙に調和していて驚いたわけですが、
今思えば、その違和感のなさは、
時代の変化をそのままに受け入れた
自然の姿だったからなのかもしれません。
実際にちょうど今頃も、
街中ではクリスマスツリーや雑貨などをよく目にするほど、
「クリスマス」も日本になじんでいます。
「それは西洋からきたので日本文化ではない」と言ってしまえば、
そうなのでしょうが、
「室礼」などを通して、日本文化を深めてみても、
そもそも日本文化には、中国の文化が色濃く影響していますし、
皆さんもご存知のとおり、近代では西洋文化の波が押し寄せ
それらが混ざって、今に至っているわけで・・・
純然たる日本文化と分けるのは難しく、
もはや不自然な気さえします。
そう思うと、伝統文化とは
「日本のものしかダメ」ということではないのでしょう。
もちろん、ルーツを知ることは
先人に守られているような大きな力が湧いてきますし、
自分や自国を知るうえで、
とても有効であり、参考になるものも大きいですが、
自分にとっては、
それはあくまで「温故知新」に必要だからであり、
決して「昔に戻ろう」とか「昔のままじゃなきゃいけない」
ということではありません。
時代は混ざりながら変化しているのですから、
まず、それを自覚すること。
そして、時代はこれからますます多様化していくでしょうから、
まさに「温故知新」で、
何を守り何を変えるのかを見極めながら、
排他的ではなく、交流して混ざっていける
器の大きさを持ち備えていけたらと思います。
かぐやかコーディネーター
宮前 奈々子