もうすぐ、息子も保育園を卒業して小学校です。
保育園では先生に見守られ、
異年齢の中で年上、同い年、年下のお友達に見守られ、
父親保育や様々な行事で保護者に見守られ、地域の人々に見守られ、
みんなに見守られて育ってきました。
私自身が育てたという実感はありませんが、
こうやって沢山の方々に見守られて育ってきたという実感は
何物にも代え難い実感です。
娘も息子も、その見守られて育ってきたという事実と体験が
これからの人生に於いて、誰かを見守ることが出来る人になっていくための
貴重な原体験となっていってもらえたらという願いが湧いてきます。
そのためにも、その原体験を失ったり忘れたりしないように
親として寄り添っていきたいなと改めて感じます。
今週末は保育園での最後の成長展という行事です。
子どもたちの成長を感じられる機会でもあるとともに、
0歳から卒園時までの発達がどのような環境によって育まれ、
どう子どもたちが見守られて成長してきているかも感じられる
大切な行事です。
それこそ、作り上げた作品や出来るようになった技術といった表面の喜びではなく、
そこまでのプロセスにある奇跡やエピソードや見守りを感じられるというのは、
子どもの心情や意欲や態度に寄り添ってこそのこと。
「作品の出来」や「できるようになったこと」が凄いのではなく、
自ら発達していくことそのものが凄いのだと感じられるのは
やってあげる保育や一斉画一の先生主導型の保育ではどうしても感じられないもの。
そんな有難い機会をまた今年も味わいつつ、
それを家庭で環境としてどう取り入れていけるのかも
今年は良く見つめていきたいと思います。
ミマモリスト
眞田 海